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古代海人族のルーツは海洋系マレーと思われる

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海洋系マレーの日本とマダガスカルへの道


古代海人族のルーツは海洋系マレーと思われる(日本人のルーツ)

拙ブログでは日本人のルーツについて検討してきました。関連し、今回は、「古代海人族のルーツは海洋系マレー」だったことについて愚考します。

まず、海人族と呼ばれる人々は海神(わたつみ)の子孫と呼ばれ、福岡県の宗像大社など関りのあるいくつかの神社が海神の神社として知られております。

その海神の言われですが、《 「記紀」に見る日本の原点 》によれば下記のとおりです。


まずは、日本の原点が「海人族」であることを「記紀」からご紹介いたします。

『古事記』も『日本書紀』も、この内容は一致しています。

「国生み」を終えたイザナギ(伊邪那岐神、伊弉諾尊)とイザナミ(伊邪那美神、伊弉冉尊)は、最後に敵対します。
『古事記』にいわく、イザナミの黄泉の国「いな しこめ しこめき 穢(きたな)き国」から帰ってきたイザナギは、「小門(おど)の阿波岐原(あわきはら)」で禊ぎ祓いをします。
このエピソードが重要なのです。
ともに「国生み」を行なったイザナギが、イザナミと訣別して、禊ぎ祓いをすることによって独立国「新生日本」がはじまるためです。
「禊ぎ祓い」というのはそういう意味です。
そのため、イザナギの禊ぎ祓いによって、皇祖神「天照大御神」と「建速須佐之男命」(素戔嗚尊)が誕生しています。
それはいいのですが、その前に「禊ぎ祓い」によって生まれた神々がいます。
次の3種、計9柱(10柱)の神々です。

繰り返しますが、天照やスサノオより先なのです。
1、八十禍津日神(大禍津日神)、神直毘神、大直毘神 … 海向こうとこちらの神。
2、底津綿津見神、中津綿津見神、上津綿津見神 … 安曇三神。
3、底筒之男命、中筒之男命、上筒之男命 … 墨江大神(住吉三神)。

「八十禍津日神」(やそ まがつ ひの かみ)というのは、「瀬織津姫津」(せおりつひめ)や「與止日女」(よとひめ=與止姫、淀姫)に習合されていることから、海の向こうからくる津波の神を象わします。
直毘神や大直毘神は、そこからの復興や新生と立て直しの神々です。

残りの「安曇三神」と「住吉三神」の計6柱の神々は、ご存じのように「海人族」を象わし、その神々です。
なので、禊ぎ払いによって最初に生まれたこれら9柱の神々は、いずれも「海」や「海人族」を象わしています。
「日本の原点」がここにあるためです。
(引用終了)


また、関連し海の神の宗像三女神が知られておりますが、「宗像三女神とはどのような神なのか?」によれば次の通りです。

高宮祭場と沖ノ島祭祀:

また考古学的視点で見て行くと、宗像大社には、貴重な古代祭祀跡が現存しており,文献史学のミッシングリンクを繋ぐ様々な遺物が出ている。海を生活の場とする古代海人族の祭祀遺跡は,今でも神聖な祈りの場として敬いと畏れを持って祭られている。

 まず、本殿から奥へ進むと高宮祭場がある。宗像大神降臨の地とされている。沖ノ島と並び宗像大社の中でももっとも神聖な場所であり、古神道の原型たる磐座の姿を今に伝える稀な祭場である。同様の磐座を宇佐神宮や三輪神社に見ることができる。おそらく8世紀にアマテラスを皇祖神とする「神の体系」ができる以前の、地域ごとの部族、氏族の自然崇拝の姿を現しているものだろう。すなわち海の民である宗像族が、危険の伴う航海や、漁労の安全や生活の安定を祈って、神が降臨する磐座を守ってきたのだろう。稲作農耕の神とは又違った祭祀の形態があったのだろう。
(引用終了)


また、関連書籍として「海の古代史」(布施克彦 2018)が知られておりますが(下写真参照)、沖縄諸島や朝鮮半島南部との倭人の交易などが詳しく紹介されています。

海の古代史(書籍)


引用が長くなりましたが、以上の報告をまとめますと、次のような感じかと思います。

まず、海神(わたつみ)は、記紀神話にも登場し、日本人の祖先の一つであり、航海と漁労の守り神であり、このため、それを祭っている宗像大社があります。そして、この海神を祭る宗像大社は福岡県にあること、その祭祀は近くの沖ノ島で行われていることかと思います。

そして、海神は海人族の守り神になったわけですが、海人の容貌は入れ墨(刺青)をしていて南方の越人が祖先と思われます。この入れ墨は、海中は危険なので作業する場合の防御のためにしているもので海人ならではのこととも言われております。

この入れ墨は、魏志倭人伝にあります倭人の容貌と同じであり、海人=倭人と思われます。関連し、倭人の入れ墨の様相については「倭人の素顔が見つかった」 を参照願います。

一方、日本人のルーツですが、最近のDNA研究(Y染色体ハプログループ分類)によれば、アイヌ系が35%、マレー系が30%、北方系のツングース系が25%、その他10%です。詳しくは「最近のY染色体DNA情報と従来知見の修正」 を参照願います。

そして、日本に来たマレー系は、海洋系のマレー系(マレー系A)と水田稲作系のマレー系(マレー系B)の2種居ることを検討してきました。詳しくは「海洋系と稲作系のマレー系が別々に渡来してきた」lを参照願います。

記紀の記述の「海人族は神話時代から居ること」は、言い換えると縄文時代から居たことになります。そして、海洋交易で栄えた5000年前の「三内丸山遺跡」が知られておりますが、この記紀の記述は縄文時代から海洋交易に関わってきたマレー系が居たことを示唆します。詳しくは「マレー系民族の優れた航海術」を参照願います。

これらのことから総合しますと、海人族は、ルーツがインドネシア(もとスンダランド)由来の海洋系マレー系(倭人)に当たると思われます。

そこで、問題となるのが、マレー系は、倭人とも呼ばれ、倭国を作り、大和朝廷と対立してきたため、記紀で倭国は抹殺されていることです。言い換えますと、マレー系は大和朝廷と対立してきたのに、何故海神として祭り上げられたのかです。

そこで愚考しますと、マレー系には海洋系(マレー系A)と水田稲作系(マレー系B)の2種居ますが、マレー系Aは縄文時代から居て、三内丸山遺跡時代の海洋交易に関わってきた縄文人です。その意味でアイヌ系と同じ仲間です。すなわち、水田稲作系(マレー系B、倭国)は認められないが、縄文時代から居た海洋系のマレー系(マレー系A)は問題なかったのではないかと思われます。

そこで、記紀は、縄文時代から居た海人族の倭人の存在を、神話になりますが、海人としての倭人を記録し、海神の神社を祭り上げるようにしたのではないかと思われます。

関連し、海人族となったマレー系Aの日本への移動、そして、海洋系の特徴を示すマレー系のマダガスカル移住について上トップ図に示しました。

 
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