fc2ブログ

畑作は生産性が低かったのか

2 Comments
レインボー
中部と東海地域の弥生時代人口増大割合


畑作は生産性が低かったのか(稲と鉄)

弥生時代の特徴に、生産性の高い水田稲作の導入があったことが知られております。このため、稲作が始まると、高地(台地)の人々の多くは稲作適地の低地(平野部)に移住したと言われます。

しかし、東京の遺跡事例では、台地の人々は弥生時代になっても低地に移住しなかったことが分かりました。詳しくは「弥生時代に東京は畑作の方が多かった」 を参照願います。

このことは、弥生時代、低地稲作が必ずしも魅力的でなかったこと、逆に、畑作の魅力もあったことを示唆します。

関連し、今回は、「畑作は生産性が低かったのか」について検討します。

方法は、山間地が多く水田稲作適地が少なかった地域と推定される中部地方(山梨、長野、岐阜)と、低地が多く水田稲作適地が多かったと推定される東海地方(静岡、愛知、三重)の人口増加割合を比較します。両地域は近接地域であり、比較する上での問題は少ないと判断されます。

なお、中部地域が稲作適地でなかったことは「弥生時代の関東・中部地域の水田作と畑作の割合」と「台地になぜ水田稲作が普及しなかったのか」を参照願います。

人口推定方法は、「古代王国の人口と稲作開始時期」と同じです。

まず、基になった古代遺跡数は下表のとおりです。

中部と東海地域の古代遺跡数

この表を基に推定された人口は下表のとおりです。

中部と東海地域の古代人口(推定)

この表から、縄文時代(BC900)から弥生時代(200)への人口増加割合を計算しますと、東海地域(低地)は12~20倍、中部地域(高地)は2~6倍であり、明らかに低地で人口増大が多い結果となりました。これは明らかに、水田稲作導入の結果、低地で人口が多くなった結果と思われます。

一方、弥生時代(200)から古墳時代(750)への人口増加割合を計算しますと、東海地域(低地)は6~12倍、中部地域(高地)も6~12倍であり、地域差異は無くりました。これは、山間地でも盆地など漏水の少ない水田適地に水田が開発されていった結果と思われます。

まとめますと、弥生時代、高地では畑作が主体でしたが、古墳時代には盆地など稲作適地に水田が開発されていったと思われます。

なお、高地(中部地域、畑作)も縄文時代~弥生時代に人口増加が認められますが、その人口増加倍数を高地と低地で比較しますと、下表のとおりです。

中部と東海地域の古代人口変動

この計算値を比較しますと、高地(中部):低地(東海)=4.4倍:14.6倍=1:3.3、すなわち、畑作は水田稲作の3分の1程度の人口増加でした。これは、畑作と水田作の生産力の差異と観ることができると思われます。

一般に、水田作は連作ができること、一方、畑作はヨーロッパの三圃式農法から分かりますように3年に1回だけしか作物を作れないことから、水田作は畑作の3倍程度の生産力があると言われます。今回の古代人口増加割の数値は、そのことを偶然にも証明したと思われます。なお、詳しくは「水田稲作で人口が何故増えるのか」 を参照願います。

関連し、中部地域と東海地域の弥生時代人口増加の差異を上トップに示しました。



日本史ランキング
レインボー
Posted byレインボー

Comments 2

There are no comments yet.
むく
ルーツ

こんばんは!
ワクワクするご研究ですね。
どんな新発見があるやら、楽しみに♪
日本人が装身具を身に着けなくなったのは冠位十二階のせいだと、個人的には思っています。
もちろん、狩猟民族から農耕民族に変わっていったことで、危機対策として貴金属を身にまとう必要性も薄れたことはあったでsしょうが。

レインボー
レインボー
Re: むく様、日本人が装身具を身に着けなくなったのは冠位十二階のせい

むく様
たいへん嬉しいコメント、ありがとうございます。

日本人が装身具を身に着けなくなったのは冠位十二階のせい、ですが、
小生には新しい知見でした。
草々


> こんばんは!
> ワクワクするご研究ですね。
> どんな新発見があるやら、楽しみに♪
> 日本人が装身具を身に着けなくなったのは冠位十二階のせいだと、個人的には思っています。
> もちろん、狩猟民族から農耕民族に変わっていったことで、危機対策として貴金属を身にまとう必要性も薄れたことはあったでsしょうが。

  • 2020/05/11 (Mon) 06:45
  • REPLY