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水田稲作3000年の画期は鉄器導入と移植技術

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水田稲作の画期は鉄器導入と田植え技術


水田稲作3000年の画期は鉄器導入と移植技術(記事まとめ)

前回、4回に渡り、古代の水田稲作普及関係について検討してきました。

関連し、今回は、水田稲作について記事まとめをします。

まず、水田稲作普及の経過概略を1000年単位で上の表に示しました。その内容は下記の通りです。

水田稲作は、中国南部で7000年前以上に始まりました。詳しくは「稲作民族が江南地方から大挙移住してきたのか」 を参照願います。

その稲栽培法は乾田直播栽培で、まず、雨期前に野焼きなどで除草し、畑状態のところに掘り棒で穴を空け播種します。そして、雨期初期の雨で発芽し伸長してくると、水を入れます。後は、除草しながら収穫時期を待ちます。上流から流れてくる水に含まれている栄養で稲は毎年育つことができ、無肥料栽培になります。詳しくは「古代中国の稲作は鉄製農具が無くとも可能な所で行われた」を参照願います。

そして、その江南地方の水田稲作は、マレー系民族によって山東半島を経て日本にもたらされました。そのマレー系民族は、先に来ていた海洋系のマレー系Aではなく水田稲作系のマレー系Bでした。彼らは、持参した鉄器は少なく、稲作の普及は北九州だけに留まりました。詳しくは「北九州の初期水田開発は石器で行われていた」を参照願います。

用水路建設や畔作りに必要な鉄器は、朝鮮半島の慶州でBC5世紀頃から本格的に作られるようになり、それが日本にもたらされると、BC3世紀ごろから西日本の低地平野部に水田稲作が本格的に普及するようになりました。そして、関東、南東北、北陸には1世紀頃に普及していきました。詳しくは「水田稲作開始は鉄器導入と一致する」を参照願います。

一方、中山間部ですが、こちらには縄文時代から畑作が行われていました。しかし、低地で水田稲作の優秀性が認められますと、弥生時代以降、盆地の沖積地など漏水の少ない場所でも稲作が行われるようになりました。詳しくは前々回報告を参照願います。

また、青森県など北東北ですが、ここは水が冷たく稲作期間が短い問題があり、かつ、当時の乾田直播栽培では漏水のため水が温まりにくい問題があり困難でした。しかし、水と土を混ぜ泥状態にする代掻き技術が生まれますと、漏水が少なく水が温まりやすくなり、かつ移植も可能になり、北東北での稲作が可能になりました。この時期は10世紀頃と思われます。詳しくは「田植えの始まりは平安時代後期か」を参照願います。

最後に棚田稲作ですが、棚田開発は江戸時代と言われます。水田を作る平地が無くなり、最後の水田開発場所は棚田になったと言われます。

まとめますと、水田稲作の普及には、鉄器導入と移植技術の導入という技術革新が重要であったことが重要と思われます。関連し、普及ステップは6期間に分けられると思います。それは次のようです。

1. 水田稲作導入時期(BC10世紀~):北九州だけに普及
2. 鉄器農具導入時期(BC3世紀~):南九州、西日本平野部に普及
3. 関東平野部に普及(BC1世紀~);関東、南東北、北陸に普及
4. 水田稲作定着時期(2世紀~):中部地方など内陸盆地にも普及
5. 移植技術導入時期(10世紀~):北東北にも普及
6. 棚田建造時期(17世紀~)

関連し、下のマンガ絵でくつろいでいただければ幸いです。

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Posted byレインボー

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