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縄文時代の稲栽培は天水畑で行われた(稲作と日本人)

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レインボー
アフリカの天水畑4

日本稲作ルーツ愚考、今回は3回目として、縄文時代の稲栽培場所は天水畑だったこと、について愚考します。

アフリカやアジアの陸稲栽培を見ますと、伝統的な焼畑で今も作られています。このため、日本でも縄文時代の陸稲は焼畑のような方法で作られたのではないかと想像されています。

一方、私はアフリカで、焼畑でなく天水田(畑)のようなところで稲が作られているのを見ました。そこは、雨期に自然と水が流れる場所ですが、雨期の時期でも雨がないときは乾きますので、「天水畑」とも言えましょう。

そして、これら天水田(畑)には畦はありません。何故、畦がないのか、それは、アフリカの伝統的稲栽培は焼畑で行われ、畦を作る鍬(くわ)や鋤(すき)がないためです。また、自給的栽培ですので、特段のことはしないようでした。

このため、毎年、同じ場所でのイネ作りですが、直播、無肥料で、手取り除草だけの簡単な農法でした。無肥料でも稲が育つのは、森から流れてくる栄養を豊富に含んだ水のためと思われます。

この方式の長所は、焼畑が15年に1回しかできないのに対し、その場所は毎年使えることです。しかも、乾いているので畑作物も作れます。

そして、縄文時代の日本の状況を考えますと、日本は大木が茂る森林が多く、当時、焼畑をできる場所は少なかったことが推察されます。

そこで、困難な焼畑に換わって地力維持方式として日本で使われたのが、上記の栄養豊富な水が流れてくる天水畑であった、と拙ブログでは推察しています。

その根拠として、稲作の証拠と言われるプラントオパールの発見されるような場所というのは、天水畑のような連作可能な場所であったことがあげられます。

例えば岡山県の「岡山県彦崎貝塚遺跡」では、土1g中に2000-3000個という多量のプラントオパールが発見されていますが、そこは連作可能な場所であったと推察されます。

また、縄文時代の稲作遺跡が斜面でなく平坦な場所に多いことも、これらの場所はアフリカの天然の天水畑のようなものであった可能性を示しております。

関連し、稲ルーツ関係の研究で高名な佐藤洋一郎は、「縄文稲作の場所として扇状地のような平坦な場所も候補地であったこと」を、その著書「稲の日本史(2002)」で指摘しています。

さらに、当時は定住社会になっていたこと、縄文集落ができていたことから推察しますと、広大な面積を必要とする焼畑よりも、上記のような連作可能な天水畑の様なところに稲と畑作物を作っていて、そのような場所があるところにだけ縄文集落がつくられていたと考えることができます。

また、関連の似たような情報は、「縄文稲作はあったか」で詳しくまとめられています。

これらのことを総合しますと、縄文時代の稲栽培は、アフリカの天水畑のようなところで作られていた可能性が高いと思われます。

関連し、上と下の写真は、アフリカのベナン国で見た畦のない天水田(畑)です。当然ですが、畑作物も作れます。

アフリカの天水畑3

アフリカの天水畑2

アフリカの天水畑1


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レインボー
Posted byレインボー

Comments 2

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大川原英智

こんにちは。

ベナンのこのよな写真も初めて拝見しました。

なるほど、天水畑。

僕の知らなかったことばかりで、ワクワクします。

とても面白いです。今回も感謝申し上げます。

ありがとうございました。

  • 2017/06/08 (Thu) 17:17
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レインボー
Re: 大川原英智  様、感謝

大川原英智  様
いつも貴重なコメント、ありがとうございます。

稲関係は私の専門領域ですので、その経験を拙ブログで発表しているところです。
なお、大川原英智 様の記事は、いつも面白く、興味深く拝見しております。
草々



> こんにちは。
>
> ベナンのこのよな写真も初めて拝見しました。
>
> なるほど、天水畑。
>
> 僕の知らなかったことばかりで、ワクワクします。
>
> とても面白いです。今回も感謝申し上げます。
>
> ありがとうございました。

  • 2017/06/08 (Thu) 20:11
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