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前方後円墳は人の形愚考

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方墳と円墳合体による2種の古墳


前方後円墳は人の形愚考(古墳と日本人)

前回、前方後円墳のルーツは、ツングース系の方墳と、マレー系とアイヌ系の円墳の合体で、民族の和合のシンボルであったことにについて愚考しました。

関連し、上は円墳形で下は方墳形という二段になった古墳「上円下方墳」がありますが、これも、円墳と方墳の合体と観ることができます。この意味で、方墳と円墳を合体した形には、「上円下方墳」と「前方後円墳」という二つの古墳様式があることになります(上図参照)。

その意味で、なぜ、前方後円墳が多く選択されるようになったのかが問題になります。因みに、「上円下方墳」は全国で6基しかありません。

関連し、今回は、前方後円墳の人気の秘密について愚考します。

まず、方墳ですが、そのルーツはツングース系にあることを先に検討しました。関連し、Wikipedia(弥生時代の墓制)によれば、「方形周溝墓は弥生時代より早い時期に朝鮮半島に大量に発見されている」とあります。

そして、この弥生時代の方形周溝墓が進化したのが古墳時代の方墳になります。さらには、その方墳が2個繋がった前方後方墳ができたと思われます。

では、なぜ、方墳が2個繋がった前方後方墳ができたのか愚考しますと次のとおりです。

2個の方墳の間に首のようなくびれがあり人の形に似ていることから想像しますと、その形は大王の墓に相応しい形、俗な言葉で言えば、カッコいいからだと思います。

そして、その形をモデルに建造されたのが前方後円墳と思われます。前回、それはツングース系とマレー系とアイヌ系の統合統一の象徴と指摘しました。

なお、最初の建造時期ですが、Wikipedia記事によりますと、前方後方墳は弥生時代後期末(2世紀末~3世紀初)に、前方後円墳は古墳時代開始期(3世紀中)に建造されたとあります。すなわち、前方後方墳は前方後円墳より早くからあり、前方後方墳をモデルに前方後円墳ができたという拙ブログの予想と一致します。

以上のことをまとめますと、前方後円墳のルーツは、下図のとおりで、方墳→前方後方墳→前方後円墳になります。前方後円墳のルーツについて、こうした考え方は自然であり、以前にもあってしかるべきですが、そうした報告について指摘いただければ幸いです。

そして、前方後円墳は大王墓に相応しい偉大な感じの形、また民族和合の象徴となりました。これらの意味で、前方後円墳は、全国的に古墳時代の流行になり、アイヌ系、マレー系、ツングース系に分かれていた日本民族の和合の道の始まりでもあったと思われます。



前方後円墳の形のルーツ


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Posted byレインボー

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