5世紀の頃、大阪、奈良、岡山の3地域に大王が居たと思われる
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レインボー

5世紀の頃、大阪、奈良、岡山の3地域に大王が居たと思われる(古墳と日本人)
先に、墳丘長が200mを超える巨大古墳が38古墳建造されたことを紹介しました。それらは、3~4世紀は奈良を中心に建造され、続いて、5世紀には、奈良、大阪、岡山等に建造されました。
関連し、今回は、5世紀に、北九州倭国とは別に、奈良、大阪、岡山の地域に大王が居たことと、それらの力関係について愚考します。
まず、それぞれの地域の巨大古墳ですが、上表のとおりです。
5世紀を前・中・後と分けますと、それぞれの地域に連続して古墳が建造されており、それぞれ一つの王家(支配者)が続いていた可能性があります。
これら5世紀建造の古墳の合計墳丘長を見ますと、大阪は10古墳で3005m、奈良は7古墳で1603m、岡山は3古墳で852mです。これらの数値をそれぞれの王家の勢力と観ますと、最強は大阪、続いて奈良、そして岡山の順になります。
これらの力関係から、奈良も岡山も大阪には抵抗できず、従っていたことになります。その意味で、大阪の大仙陵古墳古墳などの巨大古墳建造には、全地域から動員されていたと思われます。
そして、大阪と奈良の関係ですが、前回紹介しましたように、奈良の地域で4世紀に続き5世紀も巨大古墳建造が続けられていたことから想像しますと、王家の断絶は無く、大阪に本家が移り、奈良は分家として続いていたと思われます。
一方、岡山(吉備)の王家ですが、岡山は縄文時代から人口が多く、弥生遺跡も多い地域でした。縄文時代に陸稲栽培が行われ、弥生時代遺跡も多く、マレー系民族の影響の大きい地域でした。詳しくは「弥生時代最大墳丘墓のある岡山県の「楯築遺跡」と邪馬台国」を参照願います。
また、奈良の纏向遺跡からは吉備の影響のある土器が発見されております。さらには、マレー系民族は海洋系民族でもあり、四国や離島部を支配するために彼らの協力が必要でした。その意味で、大阪・奈良とは別の王家ですが、岡山は先進地域でもあり、協力を条件に共存が認められていたのではないかと思われます。
なお、マレー系は稲作民族だけでなく海洋系民族であることについては「古代海人族のルーツは海洋系マレーと思われる」 を参照願います。
関連し、これら3大王の支配地域の様子を下図に示しました。

次回は大仙陵古墳の謎に迫ります。

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