fc2ブログ

巨大古墳王家は朝鮮半島由来のツングース系だった

0 Comments
レインボー
古代におけるツングース系大王の発生と滅亡


巨大古墳王家は朝鮮半島由来のツングース系だった(古代史の問題)

前回、新勢力の継体王(在位:507-531年)が、巨大古墳を多数建造した奈良と大阪の王家を滅ぼし、その結果、巨大古墳の主が分からなくなってしまったことを指摘しました。

また、旧勢力没落の最大理由として、巨大古墳建設によって民衆が疲弊したことを指摘しました。

一方、最近のことですが、現天皇家のルーツはアイヌ系の継体王(在位:507-531年)であることが明らかになり、歴史を見直す情報が出てきました。これまで、天皇家のルーツは朝鮮半島という説が従来から根強くありましたが、完全に否定されたことになります。

しかし、天皇家のルーツが、途中で入れ替わったことになりますと従来説も有力になります。


関連し、今回は、巨大古墳を建造し古墳時代をリードした王家はツングース系であったことについて愚考します。

まず、現天皇家の祖先となったアイヌ系の継体王ですが、それ以前の天皇となると、子孫はまったく見つかっていないことも分かりました。おそらく名乗ることができない何らかの理由があったことが考えられます。詳しくは「天皇家のルーツはアイヌ系の継体王」 を参照願います。

また、巨大古墳が多数建造された大阪の人々のDNAですが、現在のY染色体ハプログループ割合は下表のとおりです。この表では、大阪でツングース系は30.0%と他の地域より多く、アイヌ系の31.2%とほぼ同等です。古代も現在の状況に近いものとして見ますと、大阪はツングース系がもともと多い地域だったことになります。

大阪等のY染色体ハプログループ分類

また、最近、3世紀の奈良県(大和)の纏向遺跡で硯が発見され、その時代から文書作成があった可能性が出てきました。例えば、「歴史タイムス」の「纏向遺跡」 を参照願います。

もし大和の大王がツングース系ならば、ツングース系の新羅や高句麗と関係があり、そこから文字を導入し文書を作った可能性があります。

特に5世紀建造の大阪の大仙陵古墳の例ですが、「建造に15年間680万人の労力」という大規模なもので、動員のためには強権だけでなく組織だった系統的な命令が必要であり、そのための文書があった可能性は否定出来ません。

そして、文書があったとすれば、巨大古墳の主は分かるはずですが、無いということは焚書があったことになります。

おそらく、巨大古墳建造には縄文時代由来のアイヌ系やマレー系民衆などの多大な犠牲がありました。このため、アイヌ系の継体王の怒りは大きく、焚書により、巨大古墳建造の情報のすべてを焼き払った可能性があります。

これらのことから想像しますと、巨大古墳の否定には、民衆の疲弊問題の他に、ツングース系(弥生系)対アイヌ系(縄文系)という民族対立問題があったことが感じられます。

そこで、大和の最初の大王がツングース系であった由来ですが、次のように考えることができます。

当時、朝鮮半島から2300年前頃から移住して来たツングース系は、畑作民族で、鉄製農具を持っており、先住民族のアイヌ系等に対し、農業で先進的な立場にありました。そして、奈良の地は台地にあり、縄文人が少なく、畑作民族が移住しやすい環境でした。

一方、マレー系が3000年前に導入した水田稲作ですが、2300年前まではほとんど普及しませんでした。しかし、ツングース系の鉄製農具の普及の結果、その普及は進みました。詳しくは「水田稲作開始は鉄器導入と一致する」を参照願います。

さらに、ツングース系は北方系民族であり馬も導入し、また高身長で体格もよく、鉄器も有しており、戦争にも有利でした。

また、日本語(アイヌ系言語)とツングース系言語の関係ですが、両者の言語の基本型は「主語+目的語+動詞」で、文法が似ており、ツングース系とアイヌ系の間にコミュニュケーションに大きな問題はなかったと思われます。

以上の有利性から、ツングース系は先住民族のアイヌ系や稲作民族のマレー系の上に立った可能性があります。詳しくは「関東・東北における民族和合の象徴としての前方後円墳」を参照願います。

そうした関係から、奈良の地で支配者の地位を得て、地域を支配する大王となる者が現れました。大王はツングース系は少数派であることが分かっており、このため、当時流行していた巨大な前方後円墳を建造し、権威と権力を民衆に見せようとしたと思われます。

また、巨大古墳ですが、朝鮮半島由来の方墳をベースにした石垣の構造があり、その古墳建造のルーツもツングース系と思われます。

一方、6世紀に現れた継体王ですが、北陸(福井)出身のアイヌ系で、多数派のアイヌ系や縄文時代から居たマレー系等の人々の支持を得て大王となったと思われます。詳しくは「新リーダー継体王と旧勢力との関係愚行」 を参照願います。

また、朝鮮半島との外交ですが、継体王は、ツングース系の新羅や高句麗でなく、マレー系の百済と関係を持ちました。継体王はアイヌ系であり、ツングース系との対立関係から、そのようにツングース系以外の国と外交した可能性があります。

まとめますと、世界遺産にもなった大仙陵古墳等の王墓名が不明なこと、この理由として巨大古墳建造に対する民衆の怒りを第一に指摘してきましたが、さらには、その王家が少数派のツングース系だったこともあると思われます。

関連し、以上の経過を上トップ図に示しました。

以上、「巨大古墳王家はツングース系だった」愚考でした。



日本史ランキング
レインボー
Posted byレインボー

Comments 0

There are no comments yet.