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近畿地域は弥生時代からツングース系が多かった

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近畿地域は弥生時代からツングース系が多かった(古代史の問題)

前回、奈良・大阪に巨大古墳を残した王権は朝鮮半島由来のツングース系であったことを、大阪人のY染色体ハプログループ分類等から推察しました。このことは、近畿地域は弥生時代からツングース系が多かった可能性があります。

今回は、このことを、縄文時代と弥生時代の遺跡数の差異、そして、ツングース系の特徴である高身長性について、東海地域と比較し愚考します。

まず、下表は、近畿地域と、岐阜を含む東海地域の縄文時代と弥生時代の遺跡数です。両地域を比較しますと、東海地域は縄文時代遺跡数が多く、その割に弥生時代遺跡数が少ない特徴があります。一方、近畿地域は逆になっています。

東海・近畿地域の縄文弥生遺跡数

関連し、「弥生時代遺跡数/縄文時代遺跡数」の値を下図に示しました。この数値は、縄文時代に比較し弥生時代の発展度合いを示す数値ですが、特に、大阪の割合は極端に大きくなっていて、他の地域に比較し弥生稲作が極端に発展した可能性があります。

東海・近畿地域各府県の「弥生時時代遺跡数・縄文時代遺跡数比」

また、同じく、内陸県の岐阜と奈良を比較しますと、「弥生時代遺跡数/縄文時代遺跡数」の値は奈良で2.1、岐阜で0.3で、7倍近い差異となっています。岐阜については、山間地が多く、水田作導入が遅れ、弥生時代の発展が遅れたことを検討したことがあります。詳しくは「畑作は生産性が低かったのか」を参照願います。

以上の結果、近畿地域は東海地域とは明らかな違いがあります。これらのことを、ツングース系民族の移住で説明すると次のようになります。

弥生時代に朝鮮半島から移住してきたツングース系集団は、縄文人が少ない(縄文遺跡が少ない)近畿地域に多く移住しました。そして、持参してきた鉄製農器具を用い、低地では水田稲作、台地では畑作を行い、食料を確保し、人口が増大しました。これが近畿地域で弥生時代遺跡数が多くなった第一の要因と思われます。

一方、東海地域は、採集経済の縄文時代の影響が大きく、鉄器導入が遅れ、農業の発達が遅れ、食糧増産が遅れたと思われます。

次に、身長の比較ですが、ツングース系は身長が高い特徴があります。その高身長性の特徴について、詳しくは「秋田美人と博多美人のルーツの違い、身長差から」、そして、「出雲にはツングース系の人々が多かったのか」を参照願います。

そこで、同じ様に近畿と東海の身長を比較しますと、下表のとおりです。


東海・近畿地域の身長差

そして、地域平均値を比較しますと下図のとおりです。近畿地域は東海地域よりも男女とも高身長で、ツングース系の特徴が明らかに表れています。

東海と近畿地域の青年の身長差


まとめますと、近畿地域は、縄文時代遺跡が少なく人口が少ない地域でした。そこへ朝鮮半島からツングース系民族が移住し、鉄製農機具で農業を行い、食料を確保し、人口が増え、先進地域になったと思われます。そして、そこから地域をまとめる大王が現れ、巨大古墳建造に走ったことになります。

拙ブログでは、近畿地域とくに奈良は、東海・近畿・中国・四国の中心地であったと観てきましたが、民族の割合の観点から見ると、弥生時代からツングース系の多い地域だったことになります。すなわち、奈良、そして近畿地域を弥生時代に支配していた集団はツングース系だったことになります。



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