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継体天皇以前の天皇名は実名か創作か

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初代~26代天皇の在位年数と年齢


継体天皇以前の天皇名は実名か創作か(古代史の問題)

アイヌ系の継体天皇(在位:507-531年)が、奈良・大阪を支配していたツングース系王家を滅ぼし、新王朝を始めたことを指摘してきました。このことは、記紀に記されている彼以前の天皇名は、現天皇家とは関係のないツングース系の大王名であった可能性を示唆します。

関連し、今回は、継体天皇以前の天皇名について、実在なのか創作なのか、再度、愚考します。

まず、記紀にあります初代~26代継体天皇までの天皇を上トップ図にまとめました。

そして、初期天皇の実在性ですが、Wikipedia(天皇の一覧)によれば次のとおりです。

初期天皇の実在性[編集]

初代神武天皇から十数代の初期天皇の実在性については、諸説ある。第二次世界大戦後の考古学及び歴史学においては、初期天皇は典拠が神話等であるとみなされ、その実在性は疑問視されている。しかしながら現代でも初代神武天皇、第10代崇神天皇、第15代応神天皇が特に研究対象として重視された[2]。

初代神武天皇以降を実在とする説[編集]
古代から第二次世界大戦中までは日本では神武天皇は実在したと考えられてきたが、戦後になると神武天皇の実在は疑問視されるようになった。これに対し、初代神武天皇の実在性を唱える者は安本美典、森清人[3]などが存在する。古田武彦は神武天皇の大和朝廷を九州の邪馬台国の分家であると主張している。

第10代崇神天皇以降を実在とする説[編集]
第10代崇神天皇を実在可能性がある最初の天皇とする説がある。日本史研究の立場からは和風諡号が同一であること、事跡の共通点などから、崇神天皇を初代天皇、あるいは神武天皇と同一人物であるとする。なお、第2代綏靖天皇から第9代開化天皇までは、『日本書紀』に『旧辞』的記述(事績等に関する記述)がないため、欠史八代(闕史八代)と呼ばれる。

第15代応神天皇以降を実在とする説[編集]
津田左右吉によって、3世紀後半から4世紀初めにかけて在位したと考えられる第15代応神天皇が初代天皇とみなされ、それ以前の天皇の実在を否定する学説が提示され、第二次世界大戦後、歴史学の主流となった(「欠史十三代」)が、その後の研究により崇神以降の実在性が強まり、「欠史八代」へ変化した。

第26代継体天皇以降を実在とする説[編集]
1970年代以降の歴史学界では、『古事記』や『日本書紀』における6世紀以前の記述は、不正確な伝説であると解されている。このため、6世紀前半に在位したと考えられる第26代継体天皇の実在は確実と考えられるものの、それ以前の天皇については、第21代雄略天皇を別として、第25代武烈天皇までは実在の可能性が薄いという見解がある。

(引用終了)

以上の記事から判断しますと、拙ブログは、「第26代継体天皇以降を実在とする説(新王朝説)」という説を支持していることになります。すなわち、継体天皇は、アイヌ系であり、それ以前の王朝(ツングース系王権)とは血縁関係のない政権を作ったことになります。

なお、現天皇に繋がる継体天皇がアイヌ系であることについては「天皇家のルーツはアイヌ系の継体王」を参照願います。

関連し、継体天皇新王朝開始(説)の根拠ですが、拙ブログでは次のように考えています。

まず、記紀の記述について信用することはできないことです。例えば、110歳(表では143歳?)まで生きたと言われる仁徳天皇については多くの学者が年齢に否定的です。さらには、100歳以上生きた天皇が初代の神武天皇~16代の仁徳天皇までに12人も居ます。これらも、ほとんどの学者が年齢について否定的です。

そこで、日本書紀という書籍の狙いについて検討しますと、一般に次のように言われております。

記紀ができた奈良時代は、奈良の都に外国人が訪問するようになり、それら外国人に日本の紹介が必要になった。そこで、中国と同じように古くからあった偉大な国として見せるため、それは漢文で書かれ、継体天皇以前からも天皇が居たことにした。

一方、その記紀ができる200年前に、継体天皇が新王朝を立てました。この王朝交代の最大の要因は、巨大古墳建造を続けたツングース系王家に対するアイヌ系等の人々の不満でした。

弥生時代、初めに発展し王家を作ったのは朝鮮半島由来の鉄器を持って来たツングース系民族でした。一方、多数派のアイヌ系は発展が遅れましたが、水田稲作を受け入れ、古墳時代、それらの中には、首長になる者も出てきました。

アイヌ系の首長の中には、ツングース系王家の巨大古墳建造に怒りを持ったものも居たと思われます。その結果、両者の激しい戦いもあり、その中で出てきたのがアイヌ系の継体天皇(在位:507-531年)だったと思われます。

しかし、その200年後、そうした対立も解け、継体天皇のルーツを古くからあったように見せるため、ツングース系王家が残した巨大古墳も継体王天皇の先祖が残したものとした、すなわち、記紀は歴史改竄したと考えることができます。

以上の結果、記紀は、天皇名を創作したことになりますが、創作でない場合もあり得ます。この場合、ツングース系王家の実際の王名だけ利用したことになります。

年齢と在位年数から見ますと、17代(履中天皇)~25代(武烈天皇)が実在の可能性があります。因みに、武烈天皇の名前は、朝鮮半島「新羅」の王名にもあり、ツングース系の雰囲気があります。

まとめますと、17代(履中天皇)~25代(武烈天皇)が実在の可能性があり、それらは、現天皇家と関係のないツングース系王家の名前だったと結論されます。すなわち、現天皇家がツングース系王家の末裔として記述している記紀は明らかに歴史改竄をしたと思われます。



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Posted byレインボー

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Re: purin様、初期天皇の即位年一覧

purin様
貴重なコメントありがとうございます。

参考にさせていただきます。
なお、この記事は、日本人のルーツであるアイヌ系、ツングース系、マレー系の関係が欠落しています。
どのようにして天皇家のルーツがアイヌ系がなったのかまったく不明です。その解明があれば説得力があります。
草々

  • 2020/11/27 (Fri) 07:14
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