朝鮮半島と日本列島の古代国家発展の類似
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レインボー

朝鮮半島と日本列島の古代国家発展の類似(記事まとめ)
日本の歴史は、縄文時代から弥生時代、そして古墳時代へと発展しました。
この発展過程には、南方系の稲作民族のマレー系と北方系畑作民族のツングース系の渡来が重要な役割を果たしました。
因みに、最近のDNA研究(Y染色体ハプログループ分類)によれば、日本人は、アイヌ系が35%、マレー系が30%、ツングース系(中国系+モンゴル系)が25%、その他が10%です。詳しくは「最近のY染色体DNA情報と従来知見の修正」を参照願います。
関連し、日本の古代、特に弥生時代~古墳時代は、マレー系とツングース系の民族がベースになって発展したことを、朝鮮半島の古代国家との関連で、今回は愚考します。
まず、日本ではマレー系民族が南方から持ち込んだ高生産性の水田稲作が3000年前から始まりました。しかし、水田稲作には水路造成や水を貯める畔造成が必要であり、それを拡大するためには鉄製農具が不可欠でした。しかし、鉄製農具は不足し、普及は遅れました。
そこへ、2300年前頃、朝鮮半島由来のツングース系民族が鉄製農具を持ち込みました。この結果、水田造成や水路造成が可能になり、北九州地域は急速に食料が増え、人口が増大し、地域リーダーの首長が生まれました。
そして、北九州地域には、首長を統合した小国家が生まれ、小国家連合の邪馬台国が生まれ、次いで、北九州地域は倭国に発展して行きました。
一方、ツングース系民族は、満州地域(中国東北部)でモンゴル系と中国系の混合混血から発生した新民族です。言葉はモンゴル系、生業は、初期は半農半猟で、しだいに南に移住し、朝鮮半島の主要民族となりました。詳しくは「北方系民族故郷の満州とツングース」を参照願います。
その後、彼らは、鉄の産地「慶州(もと新羅の首都)」の鉄製農具を持って弥生時代の2300年前頃から多数移住してきました。移住した場所は縄文人の少ない近畿地域等の西日本中心でしたが、この結果、縄文時代に人口が少なかった地域で農業が発展し、人口が急速に増大しました。
この人口増大を、Koyama(1986)の地域別人口変動で見ますと下表のとおりです。

この表では、縄文時代晩期人口が、近畿、中国、四国で少ないことが分かります。因みに、これら3地域の合計は、隣の東海や九州よりも少ない人口となっています。
次に、縄文時代晩期の人口に対し弥生時代人口増加程度を「弥生時代人口/縄文時代晩期人口」で見ますと、近畿、中国、四国は29.4~60.2倍、その他の地域は0.8~16.7倍と、両地域に大きな差異が認められます(上表参照)。
この近畿、中国、四国地域の弥生時代人口増加は次のように考えることができます。
すなわち、これらの地域は縄文時代人口が少なかったが、弥生時代に朝鮮半島からツングース系民族が移住し、鉄製農具で農業を行い、人口が増加した。一方、その他の地域は、縄文時代の採集経済の影響が大きく、かつ鉄製農具の導入が遅れ、人口増大が少なかった。
一方、弥生時代から古墳時代の人口増加ですが、近畿、中国、四国地域は引き続き増加が大きい傾向が認められますが、その他の地域も増加が認められ、極端な差は無くなっています。
以上のことをまとめますと、弥生時代、ツングース系は、縄文時代に人口が少なかった地域に居住し、鉄製農具の有利さから人口が増大し、3世紀には近畿地域で主役になったと思われます。その結果、近畿地域で初めてツングース系王家が生まれ、その王宮跡が奈良の「纏向遺跡」と思われます。
次いで、ツングース系王家は4世紀には、近畿のほか、東海、中国地域の一部を支配し、さらに5世紀には、瀬戸内を通過し、四国、九州地域の一部まで支配しました。これらの支配地域は、上の表で、もともと縄文人が少ない地域で、ツングース系が移住し人口が増大した地域でした。
まさに、弥生時代、古墳時代の主役は、北九州地域を除けば、ツングース系民族だったと思われます。
まとめますと、朝鮮半島にはツングース系とマレー系の2系統の流れをあることを拙ブログでは紹介してきましたが、その2系統の流れは、そのまま日本にも持ち込まれとものと思われます。
すなわち、日本の古代は、西の北九州では南方系のマレー系を中心とした小国家が誕生し、東の近畿地域ではツングース系の王家が誕生しました。
関連し、マレー系とツングース系の移住と5世紀頃の古代国家の関係について上トップ図に示しました。

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