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狗奴国は縄文系の多い熊本にあった

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狗奴国は縄文系の多い熊本にあった(古代史の問題)

邪馬台国を含め北九州は、当初、少数派のツングース系が支配し、後に、多数派のマレー系が支配するようになったことを検討してきました。

一方、魏志倭人伝によれば、邪馬台国(女王国)南方に狗奴国があり、女王国に従わなかったとあります。

この理由については明確になっていませんが、可能性の一つとして、狗奴国はもともとツングース系が少なく、ツングース系の女王国に従いたくない勢力だったことが推察されます。

関連し、今回は、狗奴国の場所を、最も支持されている熊本県と想定し、ツングース系が少なかったことを古代遺跡数から推察します。

方法は、「近畿地域は弥生時代からツングース系が多かった」に準じます。すなわち、「弥生時代遺跡数/縄文時代遺跡数」の九州各県値(比)をもとめます。そして、この値が大きいと、ツングース系が鉄を持ち込んだため弥生時代が発展した、すなわちツングース系が多く移住したと判断します。

まず、文科省の参考資料(2012)の九州各県の縄文・弥生時代遺跡数は下表のとおりです。

九州各県の縄文・弥生遺跡数

次に弥生時代遺跡数/縄文時代遺跡数の値(比)を算出し、図にしますと下図のとおりです。

九州各県の縄文・弥生遺跡数比

これらのデータから、その値(比)が4.99と大きく、弥生時代が大きく発展したのは福岡だけとなります。その他の県は0.28~1.02です。
福岡が大きい値を示したのは、稲作民族のマレー系民族が居たこととツングース系民族が持参した鉄の効果と思われます。

次いで、比較的大きい値は大分県の1.02です。大分は縄文時代遺跡が最も少なく、その意味でツングース系民族が入りやすかった地域と思われます。

関連し、拙ブログでは、奈良・大阪のツングース系王家の全盛時代、その支配地は九州東部(大分)まで及んでいたと推察しましたが、それは上記結果から推察したものです。

次に、狗奴国と推察される熊本ですが、値は0.56で0.51の佐賀に近い値です。縄文時代遺跡が宮崎に次いで大きく、縄文人が比較的多かったところと思われます。その意味でツングース系民族は少なく、逆に、縄文系のアイヌ系等が多かった地域と思われます。

以上の結果は、熊本は弥生時代にツングース系が少なかったことを示しますが、このことは、そこの人々はツングース系の女王国に同調する雰囲気が弱かったことを示唆します。すなわち、その意味で、狗奴国は熊本以南の縄文人の多かった地域とするのが妥当と思われます。

まとめますと、狗奴国が縄文人の多かった熊本だったとすると、弥生系、特にツングース系が支配していた女王国に従わない雰囲気は理解でき、狗奴国は熊本にあったという説が有力になります。

そして、そのことは、狗奴国は邪馬台国から軽蔑されていたことと関係していたと思われます。因みに、狗奴(こど)はマレー語でバカという意味です。詳しくは「狗奴国はバカ国愚考」を参照願います。

以上、狗奴国は熊本にあった愚考でした。



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