伽耶と稲と鉄と邪馬台国

伽耶と稲と鉄と邪馬台国 (古代史の問題)
先日、拙ブログ記事「邪馬台国の支配者はツングース系だった」について、「鉄と言えば伽耶や済州島が思い浮かびます。なぜ伽耶に言及されないのでしょうか?」というコメントがありました。
邪馬台国と朝鮮半島の関係を観る上でたいへん重要な指摘と思われます。関連し、今回は「伽耶と稲と鉄と邪馬台国」について愚考します。
まず、伽耶地域を含む韓国のY染色体ハプログループですが、マレー系が約30%、ツングース系(モンゴル系と中国系の混血)が60%、その他が10%です。詳しくは「朝鮮半島由来の日本人は25%と思われる」を参照願います。
そして、伽耶の古代ですが、拙ブログでは「伽耶はマレー系民族の国」で、北九州、百済と並んで稲作マレー系民族の国であったことを指摘しました。
そして、「伽耶は日本のルーツ」(改定新版 澤田洋太郎 2006)を参考に、伽耶は、鉄も産し、古代においては重要な鉄の供給源であったこと、さらには、王冠とか古代遺跡の埋蔵品では日本の古代遺跡と同じものが産出しており、日本と密接な関係があったことを紹介しました。
邪馬台国の時代は3世紀ですが、朝鮮半島は馬韓(後の百済)、弁韓(後の伽耶)、辰韓(後の新羅)の三韓時代です。Wikipediaによれば、「伽耶または加羅諸国(からしょこく)は、3世紀から6世紀中頃にかけて朝鮮半島の中南部において、洛東江流域を中心として散在していた小国家群を指す」とあります。
すなわち、邪馬台国時代の3世紀の伽耶は小国家群で、北九州と同様な小国家群の地域だったと思われます。そして、稲と鉄があり、朝鮮半島南部では、最も豊かな地域だったと推察されます。
しかし、伽耶は小国家群の時代が続き、国家としてまとまることができませんでした。そのことについて検討しますと、次のことが考えられます。
まず、伽耶では地域と稲作の関係からマレー系の多い地域だったと思われます。そこへ隣の鉄の産地の慶州からツングース系が鉄製農具を持ち込み、稲作が発展し、人口が増えました。伽耶は鉄が豊富というのは、鉄産地の慶州が傍にあったためと思われます(上記地図参照)。
この状況は北九州とほぼ同じですので、両者はほぼ同様に発展したと思われます。
しかし、伽耶地域が、百済や新羅のような国家に発展しなかった理由は、民族対立の争いが続き、小国家群の状態が長く続いたためと思われます。おそらく、マレー系とツングース系をまとめる強力なリーダーが現れなかったのではないかと思われます。そして、結果として、百済、新羅、倭国の支配を受けることになってしまったと思われます。
因みに、三韓時代後の4世紀、百済はマレー系国家、新羅はツングース系国家としてまとまることができました。また、北九州の邪馬台国ですが、伽耶と同じように小国家群の時代が続きましたが、4世紀にマレー系が「倭国」として独立しました。
まとめますと、伽耶は稲と鉄を有し豊かな国であったが、マレー系とツングース系の割合が拮抗し、小国家群の状況が続き、マレー系の百済、同じくマレー系の倭国、ツングース系の新羅のように国家として発展することができなかったと判断されます。
関連し、3世紀の朝鮮半島南部の様子を上トップ図に示しました。

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