前方後円墳のルーツはツングース系の方墳
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レインボー

前方後円墳のルーツはツングース系の方墳(記事まとめ)
古墳と大王の関係について検討してきました。
関連し今回は、前方後円墳のルーツについて記事まとめをしたいと思います。
まず、墳墓と民族との関係ですが、日本には、縄文系のアイヌ系、南方由来のマレー系、北方由来のツングース系という3大民族が居ますが、巨大墳墓と関係が深いのはツングース系だけです。因みに、マレー系民族の国と言われる百済ですが、巨大墳墓は少ないことが分かっています。
次に、大王墳墓の東アジアのルーツですが、中国になると思われます。中国の秦の始皇帝陵(BC3世紀)は有名で、それは、350m×345mの方墳です。また、高句麗の広開土王の将軍塚の方墳(32m×33m 5世紀)も地理的関係からこの延長にあると思われます(上図参照)。
そして、日本の方墳は、全国的に多数建造され、円墳に次いで多いことが分かっています。
最初の方墳は方形周溝墓と言われております。
Wikipedia(弥生時代の墓制)によれば、「遺体埋葬地に土で塚を築く墳丘墓(ふんきゅうぼ)は、弥生時代前期から見られたが、比較的小規模であった。弥生後期になると墳丘の規模が一気に大きくなり、その後の古墳へとつながっていく」、とあります。
そして、「方形周溝墓は弥生時代より早い時期に朝鮮半島に大量に発見されている。」、また、日本では「弥生時代前期中頃に出現し、前期の間に伊勢湾に達した。その後中期中頃に南関東、後期には北関東・東北南部へと拡がった。」とあります。
すなわち、方形周溝墓のルーツは朝鮮半島にあり、ツングース系首長の墳墓だったと推察されます。
関連し、それらから発展し巨大化した前方後方墳(方墳)がありますが、Wikipediaによれば次のとおりです。
前方後方墳(ぜんぽうこうほうふん)は、古墳の墳形の一種であり、特に東日本の前期古墳に多く存在する。また、中国・四国地方にも多く存在し、中でも出雲地方の前方後方墳は古墳時代を通じて築かれていた。その起源は、方形の墳丘墓への通路が変化し、突出部へと代わっていき成立したと推測されている。東日本の出現期古墳の多くは、前方後方墳であることが分かってきた。(引用終了)
また、Goo Wikipedia(前方後方墳)によれば次のとおりです。
弥生前方後方形墳丘墓
愛知県一宮市の西上免遺跡で発見された前方後方形墳丘墓は墳丘長約40メートルもある。
前方後方形墳丘墓から前方後方墳への成立に濃尾平野が重要な役割を果たしたと考えられている。3世紀前半の弥生時代終末期頃、東海地方では方形墓の周壕が一周するものや方形の一辺に突出状の祭壇を設ける墓が流行した。そしてやがてその際壇部や陸橋部が発展し前方後方形が出現する。 その例としては愛知県の廻間SZ01墳丘墓があげられ、祖形と考えられる。この墳形は西は京都府から東は千葉県までひろがった。 つまり前方後方墳は伊勢湾沿岸で誕生し各地にもたらされたと考えられる。
(引用終了)
以上のことをまとめますと、日本に入ってきた古墳のルーツは、朝鮮半島由来の方形周溝墓(方墳の原始系)で、その後、周辺がしっかりと石で囲まれた方墳が建造されるようになり、その方墳がより巨大化し「弥生前方後方形墳丘墓」(2世紀)となり、前方後方墳(3世紀前)ができあがったと判断されます。
そして、滋賀の「神郷亀塚古墳」が最古級の前方後方墳(3世紀前半)と言われています。
ツングース系は満州(中国東北部)から朝鮮半島を経て渡来した畑作系民族ですが、日本に鉄製農具をもって渡来し、畑作や水田稲作にリーダー的役割を果たしました。その中から首長(王)になった者は、その故郷の王墓の方墳をまねて墳墓を作ったと思われます。
また、出雲地域には「四隅突出型墳丘墓」という独特の方墳がありますが、出雲はツングース系の影響の大きいところで、これもツングース系の方墳の一種と思われます。詳しくは「出雲古代文化のルーツはツングース系」を参照願います。
前方後方墳ができた背景ですが、方墳の隣に祭壇部を作ったとき祭壇部と方墳をつないだ形が人間の形に似て大王墓に相応しい形に見えるため新しく開発されたのではないかと思われます。
その前方後方墳と後に建造された前方後円墳は形状がたいへん似ています。また、墳丘周囲の石垣構造もたいへん似ています。すなわち、前方後方墳がモデルになり、前方後円墳ができたと思われます。
そして、その前方後円墳は、前方後方墳と同じく、人型に似て大王墓に相応しい形状であること、円墳を好んだマレー系やアイヌ系と、方墳を好んだ方墳の合体でもあり、民族和合の意味もあったと思われます。
さらには、古墳建造の時に形成される周辺は溜池でもあり、夏場の農業用灌漑用水としても使えるために人気が出て、日本全国で流行したものと思われます。
まとめますと、日本独特と言われる前方後円墳のルーツは、形状が似ている前方後方墳(方墳)と思われます。そのルーツは、方墳を大王墓としていた朝鮮半島になると思われます。関連し、それら日本の古墳のルーツを上トップ図に、形状の変化の概要を下図にまとめました。


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