2017 051234567891011121314151617181920212223242526272829302017 07

水田稲作が確立したのは1世紀頃(稲作と日本人)

マダガスカル干ばつ2

日本の稲作ルーツ愚考、今回は6回目(最終回)として、水田稲作が確立した時期について愚考します。

日本の縄文晩期や弥生初期の住居跡の研究によりますと、住居は、高台から低地に移動したことが分かっています。この移動は、水田が高台の棚田から低地の水田に移動していったためと推察されています。

低地水田では、高台で問題となる漏水問題が少なくなります。このため、常に水があるため、干ばつや関連する養分欠乏問題は少なくなり、低地での稲の生産力は安定してきます。

この結果、日本は、国家形成の基礎としての米生産ができあがったと思われます。このため、鉄製農機具導入、水田の畦作り、低地への移動は新しい時代と判断されます。まさに、豊葦原瑞穂の国の基礎が出来上がった感じになります。そして、その時期は、倭奴国などの小国家形成などの情報を総合しますと1世紀頃と推察されます。

なお、3000年前~2500年前の鉄製農機具が来る前の時期、畦のある水田が既に作られていたことが分かっています。しかし、この時期は石器で水田の畦が作られていた時代で、量的にわずかです。しかも、それは漏水の多い水田であり、作られていたものが畑作物の方が多かったことが分かっています。したがいまして、この時期をもって、稲作開始時期というのは無理があると思われます。

また、稲作が安定するためには、さらなるステップ、すなわち田植えが必要となりますが、この課題については後ほど愚考していきます。今回の稲作ルーツ愚考はこれで終わります。ありがとうございました。

なお、上と下の写真は、マダガスカルで見た今年の干ばつ風景です。田植え後の様子ですが、乾いたところは枯れかけています。こうした干ばつを見ると、マダガスカルの稲作の発展もこれからと思われます。

マダガスカル干ばつ1

また、参考として、アフリカ稲作の現状と日本の古代稲作の関係について、下に紹介します。

(参考)アフリカ稲作の現状と日本の古代稲作の関係

アフリカ大陸の天水田に畦がないことを以前に紹介しましたが、この天水田の面積は多く、その改良がアフリカにおける喫緊の課題になっております。そして、その改善の方向として、①畦を作る、②水田を均平にする、③代掻きにより漏水を少なくする、④化学肥料を使う、という指針が提案されております。それぞれ大きな効果があることがデータで示されていますが、稲作改善の流れから言うと、日本の1世紀というのは①と②が終わった後という感じです。そして栽培法は、播種は畑作物と同じ直播で、苗立ちの後に水を入れる方法であったと推察されます。

関連し、下の図は、西アフリカで長期にわたって稲栽培研究を行ってきた 広瀬・若槻(西アフリカ・サバンナ生態環境の修復と農村の再生 1997)のナイジェリアでの結果です。伝統稲作は、耕起と移植はしますが、畦なし、均平なし、代掻きなしの条件です。また、試験における肥料のN(チッソ)レベルは、極少肥は15kg/ha、標準肥は90kg/haです。

この図から推定しますと、弥生初期の稲籾収量は、無肥料ですので、良くて1.5トン/ha程度、これに畦作り改良があり、最高で2.0トン/haまで上がる感じかと思われます。

アフリカ稲作収量


日本史ランキング
スポンサーサイト
[ 2017/06/13 07:48 ] 稲作と日本人 | TB(-) | CM(0)
コメントの投稿












管理者にだけ表示を許可する
検索フォーム
日本人の縄文思想と稲作のルーツ
日本人のDNAと縄文思想と稲作のルーツについて海外経験と最新情報を元にユーモアをまじえて迫ります

レインボー

Author:レインボー

私は稲仕事の関係からいくつかのアフリカとアジアの国々で暮らし、日本人のルーツはアフリカまで辿れること、その思想は自然との共生思想(縄文思想)であること、稲はマレー系の人々が持ち込んだことを実感しました。その経験をベースに、日本人のDNAと稲作のルーツに迫ります。なお、ペンネームは、「虹を見る歴史思考」という拙ブログの手法と関連し「レインボー」とします。どうぞよろしく。
ブロとも申請フォーム
QRコード
QR
月別アーカイブ