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日本人の縄文思想と稲作のルーツ

朝鮮半島由来「ツングース系王家」は、3世紀に奈良纏向遺跡で始まり、巨大古墳を多数建造したが、アイヌ系「継体天皇」によって6世紀に滅ぼされた。関連し、日本書紀の歴史改竄に迫ります。
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前方後円墳体制はあったのか愚考


大和の支配地外の前方後円墳


前方後円墳体制はあったのか愚考(古墳と日本人)

前回、前方後円墳のルーツについて検討しました。

前方後円墳については、近畿で最初に生まれた大和政権が、その王墓として前方後円墳を作り、それを全国に広めたという「前方後円墳体制説」があります。その説には、前方後円墳は大和政権支配の象徴であり、大和政権の許可の基に建造され、大和政権の支配が及んでいた場所という意味があります。

この説については、「古代史つれづれブログ」が「古墳は語る(18)~「前方後円墳体制は」なかった!?」で論理的に検討し、否定しております。

この報告を参考に、今回は、「前方後円墳体制はあったのか」、さらに検討します。

拙ブログでは、ツングース系民族が朝鮮半島から鉄製農具をもって日本へ移住してきたこと、その結果、農業生産による食料が増え、人口が2000年前頃から急激な上昇が認められることを検討してきました。

当時、富を持ち最初の王となった者は、鉄を持ち農業生産で優位に立ったツングース系と思われます。その結果、彼らは、その富を基に、故郷の朝鮮半島と同じ方墳という王墓様式をベースに、前方後方墳を作り出し、さらには類似系の前方後円墳を作り出しました。

前方後方墳も前方後円墳も、形だけでなく外部の石垣構造も似ていることから類推しますと、前方後方墳の最初の設計者は朝鮮半島から来たツングース系民族と思われます。

これらの観点から検討しますと、前方後円墳の建造経過は次のようになります。

まず、前方後円墳は、鉄製農具で豊かになったツングース系の王や関係者が建造したことになります。

このため、前方後円墳は、ツングース系がリーダーとなった地域で多く作られ、それは鉄器伝来とも関係し、全国で認められています。

例えば、関東地方に前方後円墳が多いのはツングース系の王か関係者が多く居たためと思われます。古墳時代、関東地方は大和の支配を受けていませんので、大和政権とは関係がありません。大和政権との関係を示す三角縁神獣鏡が関東でも発見されていますが、配られただけであり、大和政権の支配下にあったかは不明です。

古代の関東地域は、大和政権の中心地の奈良とは遠く離れており、支配下にあった証拠は出ておりません。むしろ、中国の旧唐書によれば、奈良時代以前、関東は毛の国と呼ばれ、別の民族が住んでいたとあります。この情報は、初期の遣隋使または遣唐使の情報を基に中国側(唐)が書いたものと思われます。

さらに、朝鮮半島にも前方後円墳がありますが、大和ではなく北九州倭国の影響が大きいと判断されます。詳しくは「朝鮮半島の前方後円墳と倭王「武」の関係」を参照願います。

一方、最初の前方後円墳ですが、前回紹介しましたが、日本最古の前方後円墳として奈良の「纒向石塚古墳(まきむくいしづかこふん)」 が指摘されています。これが最古と認められますと、大和の地域が前方後円墳発祥の地になると思われます。

奈良(大和)は、弥生時代からツングース系の多いところと指摘してきましたが、その意味で前方後円墳が大和から建造され始めたというのは不思議でありません。

このため、前方後円墳は近畿地域から広がり、特に、巨大な前方後円墳も奈良に多いことから、前方後円墳体制が奈良の王権によってはじめられたような印象を与えたと思われます。

まとめますと、前方後円墳は、その建造を始めたツングース系民族と関係があり、この結果、大和のツングース系王家と関係があるような印象があります。しかし、詳しく観ると、大和王家と直接の関係はない関東等にも多数建造されており、冒頭の「古代史つれづれブログ」指摘のとおり、前方後円墳と大和政権は直接の関係は無い、と結論されます。

関連し、古墳時代(5世紀)の様子、特に、大和支配外の前方後円墳の場所を上トップ図に示しました。



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[ 2020/09/29 07:02 ] 古墳と日本人 | TB(-) | CM(0)
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日本人の縄文思想と稲作のルーツ
日本人のDNAと縄文思想と稲作のルーツについて海外経験と最新情報を元にユーモアをまじえて迫ります

レインボー

Author:レインボー

私は稲仕事の関係からいくつかのアフリカとアジアの国々で暮らし、日本人のルーツはアフリカまで辿れること、その思想は自然との共生思想(縄文思想)であること、稲はマレー系の人々が持ち込んだことを実感しました。その経験をベースに、日本人のDNAと稲作のルーツに迫ります。なお、ペンネームは、「虹を見る歴史思考」という拙ブログの手法と関連し「レインボー」とします。どうぞよろしく。
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