古代の大王は天武天皇と北九州倭王「武」愚考

古代の大王は天武天皇と北九州倭王「武」愚考(日本の古代)
日本を最初に統一した大王は天武天皇であったことについて検討してきました。関連し、今回は、日本という国号を最初に使ったのも天武天皇であったこと、一方、彼に匹敵する北九州倭国の大王は倭王「武」であったことについて愚考します。
まず、日本統一と関連し、日本という国号のルーツですが、Wikipedia(天武天皇) から関連の部分を引用しますと、次のとおりです。
「日本」という国号を採用したのも天武天皇とする説が有力である[43]。天武朝に成立し、『日本書紀』編纂に利用された『日本世記』の存在などが理由である。日本という字にこめた意義には、「日」を中心にした国という思想を表したもので、神が天から降した「日嗣ぎ」が代々の君主だとする神話に即したものとする説や[44]、単に東方の美称とみるなど諸説ある[45]。『日本書紀』の書名・編纂と密接に関係し、飛鳥浄御原令に書き込まれたのではないかと推測される。(引用終了)
また、「大宝律令と官僚制」 から関連の部分を引用しますと、次のとおりです。
日本の国号
わが国の国号は、もとはヤマト政権の中心地である「やまと」が用いられた。一方、中国ではわが国を「倭」と称していたため、外交の場ではこれが用いられた(後世にも、「倭」を「やまと」と訓んだり、「日本」を「やまと」と訓んだりしている)。
他には、「大八洲おおやしまくに」「葦原中国あしはらなかつくに」「秋津島あきつしま」などの呼称があった。しかし、基本的で国際的な国号である「倭」には、「小人」や「従順」などの意味があったので、律令制の成立とともに、新たな国号を「日本」と定めた。
中国の歴史書である『旧唐書くとうじょ』東夷伝日本条では、「日本国は、倭国の別種なり。其の国、日辺に在るを以て、故に日本を以て名と為す。或いは曰はく、倭国、自ら其の名の雅ならざるを悪み、改めて日本と為す」と説明されている。新たな国号は、702(大宝2)年に派遣された遣唐使によって、中国に知らされたことであろうが、独自の君主号や律令、元号などと異なり、「日本」という国号は、中国の皇帝に容易に受け入れられ、承認されたものと思われる。(引用終了)
以上の記事をまとめますと、次のような感じです。
「日本」という国号を採用したのは天武天皇とする説が有力で、その国号は702年の遣唐使で中国側に伝えられ、了承されました。
以上のことから、日本という国号を初めて採用したのが天武天皇となると、天武天皇は日本という国を統一した名実ともに最初の大王であったと思われます。
なお、上記引用にもありますが、旧唐書では、「日本国は、倭国の別種なり」とありますから、日本国は、古来より朝貢してきた北九州の倭国とは別の新しい国であることになります。
そこで、北九州倭国の大王について検討しますと、日本を統一を果たした最初の大王の天武天皇に匹敵する大王は倭王「武」と思われます。
倭王「武」については、拙ブログでは何度も記事にしていますが、彼は、478年に「六国諸軍事安東大将軍」となり、新羅を含む朝鮮半島南部を支配する大王となりました。
しかし、残念ながら、日本の古代史では、日本書紀の歴史改竄があり、北九州倭国は認められていません。
関連し、倭王「武」と天武天皇の勢力範囲について上トップ図に示しました。

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