天武天皇の容貌はツングース系愚考
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レインボー

天武天皇の容貌はツングース系愚考(日本の古代)
これまで、日本を最初に統一した大王は天武天皇(在位:673- 686)であったことについて検討してきました。
また、最近のDNA研究(Y染色体ハプログループ分類)の結果、現天皇家のルーツはアイヌ系の継体天皇(在位:507-531年)まで辿れること、関連し、継体天皇の容貌はアイヌ系であったことも紹介してきました。
今回は、天武天皇の事例から、天皇家の容貌がアイヌ系から朝鮮半島由来のツングース系に変わったことについて愚考します。
まず、上の画像は「歴代天皇 40代天武天皇」からお借りしました。
この天武天皇の画像を拝見しますと、細い眼、一重瞼、小さい口元、平べったい顔、薄い髭が特徴的です。
これらの特徴は、寒地に適応したモンゴル系および、その子孫で朝鮮半島に多いツングース系の特徴と言われます。
また、Wikipediaの人物像によれば、身長について次のようです。
文暦2年(1235年)の盗掘後の調査『阿不之山陵記』に、天武天皇の骨について記載がある。首は普通より少し大きく、赤黒い色をしていた。脛の骨の長さは1尺6寸(48センチメートル)、肘の長さ1尺4寸(42センチメートル)あった。ここから身長175センチメートルくらい、当時としては背が高いほうであったと推定される[111]。藤原定家の日記『明月記』によれば、白髪も残っていたという[112]。(引用終了)
すなわち、天武天皇の身長は175cmくらいと高身長です。この高身長もツングース系の特徴です。詳しくは「色白高身長、秋田美人のルーツ愚考」 を参照願います。
以上のことから、天武天皇の容貌は明らかにツングース系です。このため、天皇家のルーツは朝鮮半島のツングース系という説もありました。しかし、最近のDNA研究は、天皇家のルーツはアイヌ系であることを明らかにしました。詳しくは、「天皇家の男子のルーツはアイヌ系」を参照願います。
そこで、天皇家の容貌がアイヌ系からツングース系に変わった経過を検討しますと次のとおりです。
まず、天武天皇の両親の系譜(下図参照)から検討しますと、天武天皇の母は目が細く吊り上がった感じがあり、母方に似た感じがあります。

母方の皇極天皇には、天皇家と縁戚関係にあった実力者の蘇我家の血が色濃く流れています。このため、天武天皇がツングース系に似た容貌とすると、その容貌は蘇我家由来となります。
当時、蘇我家は当時の実力者であり、現天皇の継体天皇(在位:507-531年)時代から、実の娘を嫁がせ縁戚関係にあったことが知られております。
一方、当時、美人と言えば、上記秋田美人のルーツでも示唆しておりますが、色白高身長のツングース系であったと推察されます。そこで、蘇我家はツングース系美女を妻に持ち、その娘を天皇家に嫁がせ、縁戚関係者となっていったことになります。
まとめますと、蘇我家は、色白高身長のツングース系美女と結婚し、その娘を天皇家に嫁がせ、それを繰り返した結果、それらの子孫の天武天皇はツングース系に似た容貌になったと推察されます。
すなわち、天皇家はもともとはアイヌ系であったが、ツングース系の女と代々結婚を重ねるうちに、天武天皇の代になると、その容貌はツングース系の容貌に変わってしまったことになります。

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