高松塚壁画女史像はツングース系の顔立ち愚考
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レインボー

高松塚壁画女史像はツングース系の顔立ち愚考(日本人のルーツ)
前々回、天武天皇(在位:673-686年)は朝鮮半島由来のツングース系の容貌であったことを紹介しました。
関連し、今回は、同時代の高松塚壁画の女史像(上の画像参照)も、ツングース系の容貌であったこと、関連し、日本美人画への影響について愚考します。
まず、Wikipediaによれば、高松塚古墳は次のとおりです。
高松塚古墳(たかまつづかこふん)は、奈良県高市郡明日香村(国営飛鳥歴史公園内)に存在する古墳。藤原京期(694年~710年)に築造された終末期古墳で、直径23m(下段)及び18m(上段)、高さ5mの二段式の円墳である。1972年に極彩色の壁画が発見されたことで一躍注目されるようになった。(引用終了)
下の鮮明画像は「高松塚壁画館」からお借りしました。

そこで、これらの女史像の容貌ですが、細い眼、一重瞼、小さい口元、平べったい顔が特徴的です。また、身長も高身長の感じがします。前回も指摘しましたが、これらは、寒地に適応したモンゴル系の容貌で、かつ、モンゴル系と中国系の混合混血から満州(中国東北部)で発生したツングース系の容貌とも言われています。
その後、ツングース系は南下し、現朝鮮半島の主要民族となり、その一部が日本に移住したことが知られています。詳しくは「朝鮮半島由来の日本人は25%と思われる」を参照願います。
そして、この壁画に描かれている衣装は、高句麗や新羅のものと同じと言われています。
すなわち、この壁画は新羅由来であることは間違いありません。そこで、当時の日本と新羅の関係について愚考しますと次のような感じです。
新羅は、唐と連合し、660年に隣国のマレー系百済を滅ぼし、668年には北の大国であった高句麗を滅ぼし、朝鮮半島の統一に成功しました。
一方、日本は、白村江の戦い(663年)で唐軍に敗れた北九州の倭国を滅ぼし、日本統一に成功しました。そして、その後の壬申の乱に勝利した天武天皇(在位:673-686年)は、強大な力を背景に、朝鮮半島を統一に成功した新羅をモデルに新たな国作りを進めようとしたのではないかと思われます。
そして、そのような新羅と日本の有効関係の雰囲気が現れたのが、この高松塚壁画と思われます。
なお、6世紀前半、ヤマト朝廷の大王となった継体天皇(在位:507-531年)は、当時、朝鮮半島の先進国だったマレー系百済と関係を持ちました。しかし、百済滅亡前後からはヤマト朝廷は新羅と交易するようになっていった様子が、この壁画からも感じられます。
そして、その絵に表現された細い目や高身長の美人の特徴ですが、その後の浮世絵等の美人画の特徴と同じ感じを受けます。すなわち、日本美人の特徴はツングース系美人という感じは、この頃からあったと思われます。
因みに、秋田美人もツングース系と思われます。詳しくは「信長の妹「お市」はツングース系浮世絵美女愚考」や「ツングース系到来と日本美女伝説愚考」を参照願います。
また、その古墳に埋葬された人物ですが、諸説あるようですが、その壁画の内容から観て、新羅と関係した人物と観るのが妥当と思われます。

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