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聖徳太子は実在したのか愚考

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レインボー

聖徳太子は何故天皇になれなかったのか


聖徳太子は実在したのか愚考(古代史の問題)

聖徳太子は日本古代史の英雄です。しかし、聖徳太子は実在したのか、数年前から疑問に持たれるようになりました。最大の疑問は、「聖徳太子は普通の天皇以上の業績があったのに何故天皇になれなかったのか」と思われます。

関連し、最近、いくつかの日本史関係ブログでも同様な問題を取り上げています。例えばブログ「邪馬台国探訪」の「聖徳太子は蘇我善徳である」です。聖徳太子は天皇家の系譜に無かったため天皇になれなかったことを指摘していますが、かなり説得力があります。

関連し、この記事に刺激され、今回は、拙ブログでもこの問題について愚考します。

まず、ウエブ検索しますと、最近の記事に「聖徳太子は本当に存在したのか?」があります。一部を引用しますと次のとおりです。


(前略)
Q10. では、なぜ「聖徳太子」が作り上げられたのですか?

厩戸王が死去して50年後、凄惨な皇位継承権争い(壬申の乱)が起きます。天皇の権威は失墜し、勝者となった天武天皇(631?〜686)は「天皇中心の中央集権律令国家づくり」をすすめていきます。

そのとき天武天皇は「厩戸王」というひとりの人物に着目します。彼と同時代に行われた数々の施策を誇大評価し、これらの偉業すべての部分で関与したとする「聖徳太子」をつくり上げたのです。ライバルである有力豪族に対し、神代から続く自らの血筋の優秀性と日本国の統治者であるという正統性を再認識させようとしたのでは、と考えられています。

こうしたことを背景にして戦前につくり上げられた「聖徳太子」像は、いま大きく揺らいでいるのです。

ここまでの話を整理してみましょう。

★聖徳太子の称号は「憲法十七条」をはじめ、数々の功績によるもの。

★ところが、最近の研究から、推古王朝は彼一人でなく天皇、蘇我氏、厩戸王3者の共同体制による運営とされ、
(1)冠位十二階などは「多くの人物」の手による合作
(2)憲法十七条は彼よりも「後の時代」に完成した
(3)遣隋使は小野妹子より「以前から」派遣されていた
など、彼自身の実績とは直接関係ないとする可能性も指摘され、徐々に疑問が生じています。

★少なくともこの時代に、彼が天皇の摂政として存在したのは確かですが、「聖徳太子」の称号に値する“すべてをひとりで成し遂げた”人物ではなかった、つまりは「“聖徳太子”はいなかった」とする見方が現実味を帯びてきました。

歴史は絶えず進化する
後に「伝説の学習参考書」と呼ばれた『大学への日本史』の初版は1973年。刊行後の40年の間に、さまざまな歴史的事実が明らかになりました。歴史は絶えず「進化」を続けています。

今回のリニューアル出版にあたっては、まだ上記の議論に結論が出ていないことから、従来の内容に従い、これらは彼の成した功績として記述していますが、人物名は「聖徳太子」とせず、本来の名である「厩戸王(聖徳太子)」としました。
・・・・・
(引用終了)

引用が長くなりましたが、以上の引用記事をまとめますと、次のような感じです。

まず、壬申の乱に勝ち巨大な実権を握った天武天皇が現れました。詳しくは「天武天皇が日本を統一した初めての天皇」を参照願います。

そして、天武天皇は、「ライバルである有力豪族に対し、神代から続く自らの血筋の優秀性と日本国の統治者であるという正統性を再認識させようとした(引用文)」とありますが、ここが天武天皇が日本書紀を発案したポイントと思われます。

関連し、日本書紀の内容ですが、聖徳太子の例からも、創作の部分が多いとしております。

そして、実績は天皇以上なのに何故天皇になれなかったかへの疑問も、創作だからということになります。そして、初めての女系の推古天皇が現れ、聖徳太子が補佐したという話も創作の可能性大となります。

しかし、何故天皇になれなかったかの疑問には、日本書紀の創作というだけで、説得力に欠けます。

一方、初めに紹介した「聖徳太子は蘇我善徳」ですが、この記事は説得力があります。聖徳太子は実在しなかったことに、この記事ではなります。

しかし、実際は聖徳太子の子孫が居ることが分かっています。例えば、拙ブログでは、聖徳太子には子孫が居て、そのY染色体ハプログループは現天皇家と同じハプログループであることを紹介しております。すなわち、聖徳太子は蘇我善徳(蘇我家)と別系統です。詳しくは、「天皇家のルーツはアイヌ系の継体王」を参照願います。

そこで、この問題について慎重に検討しますと、蘇我家も天皇家の系譜と同じことが分かれば解決します。例えば、拙ブログでは、巨大古墳を多数建造したツングース王家を滅ぼしたのは現天皇家祖先の継体天皇(在位:507-531年)としていますが、その時から、蘇我氏は継体天皇とはたいへん近い関係にありました。蘇我氏と天皇家が同じ祖先という可能性はあり得ます。詳しくは「蘇我家のルーツ愚考」を参照願います。

結論として、聖徳太子が天皇になれなかったことについては、諸説ありますが、まだ解明されていないと言えましょう。

関連し、聖徳太子の真相について、上トップ図に示しました。



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レインボー
Posted byレインボー

Comments 2

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motomasaong
歴史歪曲主義の右翼思想がバックにあります。

 何故、近年になって聖徳太子が実在しないと言う説が浮かび上がって来たのか? その背景には、歴史修正主義者という、大日本帝国を礼讃し、日本がすごいと言う嘘を塗り固めた歴史観を振りかざす勢力が存在します。右翼団体「日本会議」がその中心に存在し、自民党議員の90%以上が日本会議のメンバーであり右翼です。
 聖徳太子は傑出した人物であり、インド由来の思想である仏教を最大限尊重して自らがリーダーとなって法華経の解説書を発行しています。さらに、中国との交流、「東方の菩薩天使」とまで煬帝を高く扱っている事も有名です。 
 しかも、鑑真記には、「聖徳太子は中国の高僧、禅宗の慧思の転生である」という記載があります。
 天皇の直系の皇子である聖徳太子、厩戸の皇子が、日本の右翼が信奉する日本神道ではなく、インドの仏教、そして仏教をもたらした中国大陸に最大限の敬意を払っていたと言う歴史的事実は、右翼にとっては致命的です。
 聖徳太子非実在説は、右翼思想を持ち、差別意識を持つ人間達には、外国の文化であっても優れた者は高く評価し、公正に扱った天皇の皇子の存在は許しがたいため、右翼お得意の捏造と偽証によって登場した言説と認識しています。言うまでもなく、学問的根拠も何もない「妄想」であり「虚偽」そのものです。
 レインボーさんの御指摘通り、Y染色体ハプロタイプにおいて、聖徳太子の子孫が実際に天皇家に由来していると証明されている以上、聖徳太子、その呼称はどうあれ、彼の実在は証明されていると考えるのが科学的に適切な判断だと考えます。

  • 2021/06/18 (Fri) 17:11
  • REPLY
レインボー
レインボー
Re: motomasaong様、歴史歪曲主義の右翼思想がバックにあります。

motomasaong様
いつも貴重なコメント、ありがとうございます。

聖徳太子は実在したが、日本書紀では創作の部分が多く、謎が多いという感じでしょうか。
草々

  • 2021/06/19 (Sat) 07:37
  • REPLY