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学研マンガ(旧版)訂正、縄文時代の主食は栗であった

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レインボー

縄文時代の木の実拾い(学研歴史マンガ、旧版)


学研マンガ(旧版)訂正、縄文時代の主食は栗であった(古代史の虚像と書籍)

小学生向き「学研まんが」が1982年に発刊されましたがが、その改定版として「NEW日本の歴史」が2012年に発刊されました。

その改定版では、旧版の第1巻「日本のあけぼの」(1982年発行)の内容で訂正されている箇所があります。

その訂正箇所に関連し、今回は「縄文時代の主食は栗であった」について検討します。

まず、「学研まんが」旧版の内容(マンガ絵と文章)は上記図のとおりで、縄文時代、女性がどんぐり等の木の実を集めに森へ行く様子が描かれています。

新版の「NEW日本の歴史」では、その記述は消えています。

新版では「(三内丸山遺跡の)周囲の栗林は人の手によって管理されていました」とありますので、5000年前の三内丸山縄文遺跡時代の主食は栗であった可能性が高いことから、「縄文時代はドングリが主食」という記述は新版で消去されたのだと思われます。

私たちが少年時代に学んだ日本の歴史では、縄文時代の食べ物は確かに「どんぐり等の木の実」でした。しかし、これらの木の実は食べる前にアク抜きが必要で、めんどうです。そのため、そのまま食べることのできる栗やクルミを最初に食べたと思われます。

一方、ドングリ類ですが、あまり食べなかったため縄文時代遺物として残りやすかっと判断されます。すなわち、多くの縄文遺跡に残っていた食物はドングリ類で、その結果、ドングリ類が主な食べ物と誤解されていたと思われます。

関連し、拙ブログでは、縄文時代の主食は栗であり、通説のドングリ等の木の実は飢餓対策用の保存品であった、と紹介してきました。詳しくは「山栗は縄文時代の主食であった」を参照願います。


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Posted byレインボー

Comments 2

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motomasaong
今とは気候が異なっていたそうですね。

 確か何年も前に、佐藤洋一郎の報告として、
「縄文時代の村落周囲には大量に栗の木があり、その花粉のDNAを調べたところ、同じ苗から採れた実を植えた子孫であることがわかった。従って、自然に生えたのではなく、縄文時代の人々が同じ期から採れた実を植えた結果であると考えられる。
 当時は温暖だったため、栗の栽培が東北地方でも可能だった」とテレビで見ました。

「山栗は縄文時代の主食であった」は本当だと思います。昔は栗を干して勝ち栗にしていました。私の父親の世代には普通にあった物であり、焼いてか、そのまま食べていたとのことです。私も一度だけ食べましたが、顎が折れそうになりました。大正末期でも田舎の人は普通に食べていたのですから、縄文時代の人も当然、食べていたのでしょう。

 なお、「山栗は縄文時代の主食であった」を供覧させていただきましたが、非常に品質のいい苗代イチゴですね。私も中学高校時代には山歩きが好きで、苗代イチゴや冬イチゴの群落を見つけてジャムいしていました。
 なお、
 苗代イチゴも美味しいですが、冬イチゴはより日陰の涼しい場所で育ち、苗代イチゴより甘みの強いイチゴがなり、しかも2~3月に塾するので虫も尽きません。手頃な場所がおありでしたが、植えてみてください。ジャムでも美味しいですが、生でも冬イチゴは熊イチゴや苗代イチゴより甘くて美味です。

  • 2021/07/09 (Fri) 14:34
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レインボー
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Re: motomasaong 様、今とは気候が異なっていたそうですね。

motomasaong 様
いつも貴重なコメント、ありがとうございます。

ご指摘の冬イチゴですが、まだ作ったことがありません。調べてみたいと思います。
草々

  • 2021/07/10 (Sat) 13:19
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