学研まんが「NEW日本の歴史」で訂正された稲作伝来と栽培法

学研まんが「NEW日本の歴史」で訂正された稲作伝来と栽培法(古代史の虚像と書籍)
小学生向き「学研まんが」新版「NEW日本の歴史」(2012)が出ております。
その新版では、旧版第1巻「日本のあけぼの」(1982)の内容で訂正されている箇所があります。
関連し、今回は、訂正された「稲作伝来と栽培法」について検討します。
旧版では、稲は漂流者が弥生時代の初期に持ってきたように描かれています。その様子は上図マンガ絵のとおりです。
しかし、最近の研究で6000年前の縄文時代中期から陸稲栽培が行われていたことが分かっております。そのためか、新版では、この「漂流者が持ってきた」場面は無くなっていますが、当然のことと思われます。詳しくは拙ブログの「稲を導入した民族はマレー系の人たち」を参照願います。
次に、水田稲作導入後の栽培法です。最初は沼地に播いたように描かれています(下図参照)。

しかし、当時の稲作は、畑状態の田んぼに掘り棒で穴を開け播種し、芽が出てきたところで水を入れる乾田直播であったことが有力です。詳しくは「江南地方の稲作技術はセットで持ち込まれたのか」を参照願います。
上記のマンガ絵のように沼地に種を播いても、発芽し育つことが出来る栽培稲はほとんどありません。新版では、この場面も無くなっていますが、おそらく専門家の指導があったものと思われます。
また、弥生時代から田植えがあったと書いてありますが、これも新版では消えています。これも専門家の指摘があり訂正されたものと思われます。詳しくは「弥生時代稲作に移植は無かった」を参照願います。
なお、田植えの開始時期について、詳しくは拙ブログ記事「人口増加曲線から田植えは平安時代中期に始まったとみられる」を参照願います。
まとめますと、最近の稲遺跡関係の発掘は、陸稲ですが、稲作導入が6000年前から始まったことを明らかにしており、旧版の内容が新版で訂正されたのは適切と思われます。

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