学研まんが「NEW日本の歴史」の弥生稲作普及が早すぎる問題
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レインボー

学研まんが「NEW日本の歴史」の弥生稲作普及が早すぎる問題(古代史の虚像と書籍)
小学生向き「学研まんが」新版「NEW日本の歴史」(2012)が出ております。前回までは、旧版の内容が新知見のもとに訂正された部分について紹介しました。
今回からは、新版の内容で歴史事実と異なる問題点について検討します。事実と異なる記事というのは、歴史の捏造と関連し、その捏造記事が、「学研まんが」というマンガを通じて、小学生に信じられてしまうという深刻な問題を含んでいます。
今回は「弥生稲作普及が早すぎる問題」です。
新版では、上図のように「九州から始まった水稲耕作は100年ほどのあいだに近畿地方へと広まり、やがて関東地方から東北地方南部に、弥生時代中ごろには東北地方北部にまでおよび、」とありますが、この内容は明らかに間違っています。
最近の研究では、北九州で稲作が始まったのは3000年前、そして近畿地方に広がったのは、2300年前以降です。関東ではさらに遅く2100年前になります。
また、当時の水田の様子が下図のように描かれていますが、この図では池の中で稲を作っている感じで、明らかに間違っています。

水を貯めるための水田の畦は低かったことが分かっています。また、当時の技術では、水田を均平にすることは困難で、このため小区画水田が多かったことが遺跡調査で分かっています。詳しくは「山間地水田の漏水問題と平野部への展開」を参照願います。
さらに、「九州から始まった水稲耕作は・・・、弥生時代中ごろには東北地方北部にまでおよび」ですが、これも間違っています。確かに東北北部(青森)の弥生時代稲作の遺跡の田舎館遺跡が知られております。しかし、その水田稲作は、おそらく冷害のためと思われますが、広がらず、消えてしまいました。
以上のことから、拙ブログでは、東北北部の稲作は田植え稲作と共に平安時代中期以降に始まったと観ています。関連し、東北の北部の稲作開始時期については、「田植え技術は東北を変えた」を参照願います。
まとめますと、水田稲作は、3000年前に北九州で始まりましたが、長期の停滞があり、近畿では鉄器導入後の2300年前、関東では2100年前、冷害地の北東北では田植え稲作導入後の平安中期(900年)以降に始まったと見るのが妥当と思われます。
稲と鉄の導入は日本の古代史発展のベースとなるもので大変重要です。しかし、「NEW日本の歴史」では、稲の導入は上記のとおり間違いだらけ、また鉄器導入は、前回紹介のように、ほとんど説明がありません。小学生向けとはいえ極めて不十分な歴史解説書と言わざるをえません。
次回は「邪馬台国の卑弥呼の墓の形の問題」について検討します。

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