日本稲のルーツは揚子江流域ではない
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レインボー

日本稲のルーツは揚子江流域ではない(古代史の虚像と書籍)
大判ビジュアル図解「大迫力!写真と絵でわかる日本史」(2013年 橋場日月)という一般者向け書籍が出ています。前回は日本民族のルーツについて検討しました。
今回は、少し専門的になりますが、その書の指摘する「日本稲のルーツは揚子江流域」(上図参照)の問題点について検討します。
結論から先に言いますと、この指摘は、揚子江流域の最古の稲作遺跡から日本型品種が発見されたことと関連しておりますが、最近の知見を無視しており、誤りと思われます。
一般に、稲品種には日本型とインド型がありますが、日本型品種の方が古くからあると言われております。そして、これら栽培稲品種は野生種から選抜された改良品種になりますので、栽培稲品種のルーツは、基になった野生稲が自生していた地域になります。
そこで、揚子江流域の野生稲の歴史を見ますと、氷河期は寒く野生稲が無かったことが分かっています。その意味で、その書の指摘する「日本稲のルーツは揚子江流域」説は否定されます。
なお、現在見られる揚子江流域の野生稲ですが、それらは南部の海南島の野生稲がルーツと判断されています。
そして、日本稲のルーツとなった野生稲ですが、インドネシアのルヒポゴンが栽培稲に比較的近いと言われております。その特徴は、現栽培品種と比較し、極長身(倒れやすい)、極長芒(芒が長く鳥獣に襲われにくい)、脱粒極易(実るとすぐこぼれる)、休眠性極強(雨水に浸かっても1年間発芽しない)、小粒、と言われております。
すなわち、野生稲の特徴は野性的で栽培しにくい特徴があり、これらを改良したのが栽培用品種となります。そして、世界の栽培種を検討し、栽培種のなかでも、これら野生稲に近い特徴をもった品種として、日本型のインドネシア品種群が選出されました。
すなわち、インドネシアには栽培稲に比較的近い野生稲ルヒポゴンと野生稲に近い日本型品種群があり、結論として、インドネシア(もとスンダランド)が日本型品種(栽培稲)のルーツと判断されるようになりました。詳しくは「栽培稲のルーツはスンダランド」を参照願います。
一方、中国には北部に畑作民族と南部稲作民族が居ることが知られておりますが、南部の稲作民族と言われる人々の多数はマレー系の人々です。彼らは、中国では越族と呼ばれておりますが、そのルーツはインドネシアで、上記日本稲のルーツと一致します。おそらく、彼らが中国南部に稲作を持ち込み、さらには日本にも持ち込んだともの推察されます。
上記のインドネシアルーツ説は2008年に生物資源研究所の研究グループが発表したものです。一方、本書の説(日本稲のルーツは揚子江流域説)は2013年の出版です。すなわち、本書は5年前に報告されたインドネシア説を無視して出版した形になります。
まとめますと、上記の「大迫力!写真と絵でわかる日本史」に掲載された「日本稲のルーツは揚子江流域」(説)は、「日本稲のルーツはインドネシア」に訂正すべきです。
次回は、「稲移植の始まりは弥生時代でないこと」について検討します。

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