海彦・山彦神話の山彦はアイヌ系
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レインボー

海彦・山彦神話の山彦はアイヌ系(日本書紀は創作)
前回、現天皇家はアイヌ系であること、一方、日本の古代にはアイヌ系の他に朝鮮半島由来ツングース系民族、南方由来のマレー系民族の三大民族が居たこと、それぞれ歴史的役割があったこと等から、日本の古代史は、日本書紀にある日本民族一元史観ではなく、三大民族史観(三元史観)の立場から観るべきであることを検討しました。
関連し、この三元史観の観点から日本書紀の「海彦・山彦神話」について、その暗示する内容について、今回は検討します。
神話の内容は、天皇家の祖先のアマテラスには3人のひ孫兄弟がおり、長男の海彦と三男の山彦は争い、弟の山彦が長男の海彦を打ち破り、その勝った弟(山彦)の孫が天孫降臨し、現存の神武天皇になるというストーリイです。
しかし、日本書紀と言う日本の正史に、何故、海彦や山彦と言った名前があるのか、さらには名前の無い次男がいるのか、また、この話は山彦が海彦を打ち負かすという内容で、何故、弟の山彦が勝つのか、日本の古代史と関連し、何かを暗示していることが感じられます。
そこで、その暗示の内容ですが、長男の海彦は巨大な王家を近畿に創ったツングース系王家、次男は北九州マレー系王家(倭国)、三男の山彦は現アイヌ系王家とすると、この神話は古代史と合致します。
海のかなたから来たツングース系王家(海彦)に山間に居たアイヌ系民族(山彦)はいじめられてきました。しかし、アイヌ系の継体王(在位:507-531年)が現れ、血みどろの戦いの結果、アイヌ系は勝利し、ツングース系王家を滅ぼしました。一方、次男(北九州マレー系王家)はこれらの戦いとは関係なかったので脇役にもなれなかった、と観ることができます。
一方、これら海彦(ツングース系王家)と次男(北九州マレー系)の存在については神話世界の話であったことにしているので、現世では、日本民族は日本民族だけの話になっています。
さらには、山彦の孫は、天孫降臨し、神武天皇となりました。すなわち、ここに、天皇の万世一系が完成します。見事な万世一系の創作です!そして、現天皇家はアイヌ系であることが分かっていますので、その祖先の山彦はアイヌ系と判断されます。
まとめますと、海彦・山彦神話では、古来より山間部に住んでいた山彦が海外から移住してきた海彦に勝ち、その孫が天孫降臨し神武天皇になったことが暗示される内容になっています。
このことは、日本書紀の神話の内容は、古代史を間接的に表現していると観ることができます。その意味で、前回、天皇家が日本民族の頂点に立っているという一元史観で日本書紀は創られているとしましたが、それは編集方針であり、実際は、海彦・山彦神話のように、神話の世界ではあるが、実際の史実が暗示されている内容になっていると思われます。
関連し、これらの関係を上トップ図に示しました。
なお、拙ブログでは先に「「海彦」は何故「山彦」に負けたのか」で海彦を北九州倭国、山彦を大和国 次男を吉備国としてきましたが、今回の観方の方が史実に近く、分かりやすい見方になっていると思われます。

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