出雲の国譲り神話と出雲大社の関係愚考

出雲の国譲り神話と出雲大社の関係愚考(日本書紀は創作)
前回、出雲はヤマトのツングー系王家発祥の地であったことを検討しました。
一方、出雲には、多数の神話が古事記や日本書紀に残されています。特に、古事記には、その30%が出雲関係と言われ、日本古代史を検討する上で重要な地であると言われております。
関連し、今回は、「出雲の国譲り神話と出雲大社の関係」について愚考します。
なお、本記事については「葬られた王朝、古代出雲の謎を解く」(梅原猛 2010、下写真参照)を参考にし、さらに踏み込みました。

まず、古代史関係主要神社として、高千穂、伊勢、出雲が知られております。高千穂は天孫降臨の地、伊勢は神武天皇が旧ヤマト勢力を攻めるために上陸した地、また、天皇と初めて名乗った天武天皇が壬申の乱で勝利を祈願した地として知られております。そのためか、伊勢神宮には現天皇家の祖神のアマテラスが祭られています。
関連し、ヤマト(奈良)の地には大和(おおやまと)神社があり、この神社も同じくアマテラスを祭っていますが、伊勢神宮に次ぐ神社とされています。おそらく、ヤマトの神社はツングース系王家の都があったところの神社であり、伊勢神宮の方が現天皇家ゆかりの地としては相応しい位置にあるためだと思われます。
しかし、出雲大社については、実際の歴史的事件は無く、歴史的意味は不明です。
そこで、出雲大社について調べますと、祭っている神様は、因幡の白兎で有名な大国様(オオクニヌシ)です。そして、オオクニヌシ(大国主神)について調べますと、Wikipediaによれば次のとおりです。
須佐之男命から大国主神までの系図(『古事記』による)。青は男神、赤は女神『古事記』・『日本書紀』の異伝や『新撰姓氏録』によると、須佐之男命(すさのおのみこと)の六世の孫、また『日本書紀』の別の一書には七世の孫などとされている。父は天之冬衣神(あめのふゆきぬのかみ)、母は刺国若比売(さしくにわかひめ)。また『日本書紀』正伝によると素戔鳴尊(すさのおのみこと)の息子。日本国を創った神とされている。
須佐之男命の娘である須勢理毘売命(すせりびめのみこと)との婚姻の後にスクナビコナと協力して天下を経営し、禁厭(まじない)、医薬などの道を教え、大物主神(おおものぬしかみ)を祀ることによって葦原中国(あしはらのなかつくに)の国作りを完成させる。だが、高天原(たかあまのはら)からの天照大御神(あまてらすおおみかみ)の使者に国譲りを要請され、対話と武力を交えた交渉の末に幽冥界の主、幽事の主宰者となった。国譲りの際にかつて須佐之男命から賜って建立した「富足る天の御巣の如き」大きな宮殿(出雲大社)を修復してほしいと条件を出したことに天津神(あまつかみ)が同意したことにより、このときの名を杵築大神(きづきのおおかみ)ともいう。
大国主神を扱った話として、因幡の白兎の話、根の国訪問の話、沼河比売への妻問いの話が『古事記』に、国作り、国譲り等の神話が『古事記』と『日本書紀』に記載されている(但し、『日本書紀』では「大国主神」という神名ではない)。『出雲国風土記』においても多くの説話に登場し、例えば意宇郡母里郷(現在の島根県安来市)の条には「越八口」を大穴持命が平定し、その帰りに国譲りの宣言をしたという説話がある。 また山陰、四国、近畿、三遠信、北陸、関東など広範囲における地方伝承にも度々登場する。(引用終了)
以上、オオクニヌシについて、まとめますとつぎのような感じと思われます。
オオクニヌシは農業の神であり、日本をコメの実る豊かな国にした。しかし、アマテラス(現天皇家)に、その国を譲れと要求され、譲らざるを得なかった。そして、国譲りをした後は、出雲大社を建ててもらい出雲の国に残り、亡くなった。
一方、アマテラスですが、その後を継いだのがニニギ、その三男が山彦、その2代目が天孫降臨をして神話の世界から抜け出した神武天皇です。すなわち、アマテラスの末裔(現天皇家)は、国譲りをしてもらい、かつ、繁栄しているというのが神話の結末になります。
そこで、この神話が、何か歴史的事件を暗示しているのではないか検討しますと、オオクニヌシは日本で農業を始めたツングース系王家、それを譲ってもらったアマテラスは現天皇家とすると歴史的事実と合致します。
まず、日本国は、ツングース系民族が農業(特に稲作)を開始し、人口が増え、国作りをしました。その国をアイヌ系が奪い、新たなアイヌ系王家(現天皇家)を作りました。そのアイヌ系王家の始まりは継体王(在位:507-531年)であることが、最近のDNA研究(Y染色体ハプログループ分類)から明らかになりました。
しかし、ツングース系王家を滅ぼし、農地を含め略奪したことはアイヌ系王家にとって恥ずべき行為でした。そこで、せめて、神話の世界になるが、国譲りは大きな争いもなく行われたことにしたいということが日本書紀には感じられます。しかし、その恥ずべき行為が許されるわけではなく、ツングース系王家の恨みは残ったままで、祟りが起こる可能性が否定できません。
関連し、上記書籍の梅原猛の解説ですが、神社は鎮魂の場所、死んだ者が現世を恨んで生き返って来ないように魂を癒す場所として設立されている場合が多いとあります。
その典型的事例が太宰府天満宮です。大宰府に流され亡くなった菅原道真ですが、菅原道真が亡くなった後、いろいろな転変地変が起こり、菅原道真の祟りと畏れられました。そこで、彼の鎮魂のため大宰府天満宮を建てたと言うのは有名な話です。
この梅原猛の解説を当てはめますと、出雲のオオクニヌシはツングース系王家のことであり、その祟りを畏れ、出雲大社を造り鎮魂することになった。場所は、ツングース系王家誕生の地である出雲にしたというのが真相でないかと思われます。
以上、まとめますと、アイヌ系王家はツングーケイ王家を滅ぼし、その財産を略奪しましたが、このことから、祟りを畏れ、ツングース系王家鎮魂のためにツングース系王家発祥地の出雲に出雲大社を作ったのが出雲大社の由来と思われます。
関連し、出雲大社の由来を上トップ図に示しました。

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