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埼玉の吉見百穴はツングース系王家終末の墓愚考

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吉見百穴のルーツ


埼玉の吉見百穴はツングース系王家終末の墓愚考(関東・東北の古代)

前回、関東に、ヤマトとは別のツングース系王家があったこと、その中心地は群馬・埼玉であったことを検討してきました。

関連し、私ことですが、埼玉県には8年間(1973~1980)住んだことがあります。そして、近くの古代遺跡、鉄剣碑文の出た有名な「稲荷山古墳」や、謎の洞窟で有名な「吉見百穴」を何度か訪問しました(下写真参照、小生の青年時代の姿が映っています)。

吉見百穴と著者1973頃

特に、「吉見百穴」については、小さい丘山に巨大な横穴や無数の穴があり、圧倒されました。そして、なぜ、このような洞窟があるのか、理解しようとしても理解できないものがありました。

そこで、今回は、最近の情報を基にその謎に迫ってみたいと思います。

まず、「吉見百穴」が建造された時代ですが、古墳時代後期(6~7世紀)とあります。これは、関東のツングース系王家の滅亡時期に合致します。

また、穴は、一般の横穴式古墳の内部の通洞と同じ様式で、洞窟内部に多数の遺体安置場があるため、集団墓地であると結論されたようです。

その墓様式のルーツは、「出雲を原郷とする人たち」(岡本 雅享 2016)によれば出雲になるようです。すなわち、朝鮮半島由来の人びとは出雲に初めに移住し、さらに一部の人びとは北上し、新潟当たりから南下し、関東に住み着いたことになります(上トップ図参照)。

本著の指摘は、関東の王家は朝鮮半島由来のツングース系(新潟経由)という意味で、拙ブログの内容と一致します。

そして、建造時代(6~7世紀)とルーツ(出雲)から想像しますと、「吉見百穴」について、次のことが考えられます。

まず、関東のツングース系王家の王は大古墳に葬られました。その他の王家関係者は、小古墳、あるいは初期の「吉見百穴」に葬られました。

そして、6世紀後半、王家はヤマトのアイヌ系新王家・関東のアイヌ系豪族連合に滅ぼされ、古墳の建造はできなくなりました。その結果、残されたツングース系王家関係者に残された場所は「吉見百穴」だけとなり、次々とそこに葬られました。しかし、そこがいっぱいとなると、利用は終わり、時代も変わり、放置されてしまった、と思われます。

何故、放置されたのかですが、7世紀まで墓として利用されてきた百穴ですが、8世紀となると、奈良時代です。アイヌ系王家が奈良に都を定め、本格的に関東・東北支配を始めた時期です。残されたツングース系人々も、その時代の流れに抵抗できなくなっていった時代と思われます。

すなわち、「吉見百穴」は関東のツングース系王家関係者の横穴墓であり、かつ、ツングース系王家終末を示す墓と思われます。

関連し、上トップに、「吉見百穴」のルーツと時代について示しました。



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Posted byレインボー

Comments 2

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motomasaong
土葬には最適ですね。

 新約聖書に記載がありますが、当時ラザロやキリストが埋葬されたのも、同じように禿山に開けられた横穴で、埋葬後は大きな石の板で入り口を塞いでいました。
 その時には何とも思わなかったのですが、今回の投稿を見てそれを思い出しました。
 さらに私の母の郷里での墓場で、近くの土手に30cmぐらいの横穴が開いており、父が言うには「アナグマの仕業だ」とのことでした。
 吉見百穴を見ると、それだけでは何故、こんな崖に横穴を開けて墓地にしたかと思いますが、これらの情報を考慮すると、土葬の場合、裏山などに埋葬するとクマ、イノシシ、狸、アナグマなどの動物が墓を荒らします。その点、こうした断崖絶壁ならば、不便ではありますが遺体が動物に食われる危険性が少ないと考えられます。イスラエルにもジャッカルやキツネ、ライオンなどがいたようですから、動物除けのために大きな石の板で横穴に蓋をしたのでしょう。

 なお、私の親の世代は浄土真宗で、その場合、墓がないのが正当だと坊さんに教わった事があり、実際、戦後までは親の村には墓がなく、墓地に適当に穴を掘って遺体を埋め、順番にそれを繰り返していたため、墓地を掘ると新旧の骨がごろごろ出たそうです。
 ハムレットが恋人オフィーリアの葬儀をそれと知らずに墓場で目撃する場面がありますが、葬儀人がオフィーリアの墓穴を掘っていると、次々に髑髏や骨が出てきて、それをハムレットが嘆きます。
 イギリスでも、当時は墓とか墓標はよほど地位の高い者でなければなく、オフィーリアでさえ墓場の死体が骨になったような場所に穴を掘って埋葬していたことがわかります。
 吉見百穴も、特権階級の物であり、庶民は適当に埋葬するか山に捨てていたのでしょうか? 代々、同じ穴に子孫も埋葬していたのでしょうか? 骨は出土しているのでしょうか? 多数時代を開けて出るなら同じ穴を繰り返し使用していたことになります。
 ネアンデルタール人さえ埋葬して花を手向けていたそうですから、死者の埋葬は普遍的なイベントなのでしょう。

  • 2022/01/24 (Mon) 10:20
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レインボー
レインボー
Re: motomasaong様、土葬には最適ですね。

motomasaong様
度々の貴重なコメント、ありがとうございます。

吉見百穴ですが、ツングース系の高貴な方が、葬られた場所と思われます。
特に、大きな通洞のある場所はそのような感じを受けます。

しかし、奈良時代となると、時代は変わり、すべて放置された感じです。

一方、アイヌ系等の庶民ですが、彼らは従来どおり土葬だったと思われます。
草々

  • 2022/01/25 (Tue) 08:16
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