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関東とヤマトの埴輪の違い愚考

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レインボー

埴輪と古墳時代国家(5世紀)


関東とヤマトの埴輪の違い愚(関東・東北の古代)

関東には100m超える大古墳が多数あることや、古墳建造に関係した関東の弥生系の人びとは新潟方面から来たことから、ヤマト(奈良)とは別に朝鮮半島由来のツングース系王家が関東にあったことを検討してきました。

従来は「前方後円墳体制説」があり、ヤマトと同じ前方後方墳が関東にもあるので、関東もヤマト王朝の一部(一地方)だった、と観られてきました。

しかし、ヤマト王朝がアイヌ系の継体王(在位:507-531年)によって滅ばされた後も関東の王家は存続しており、拙ブログでは、ヤマトとは別に独立した王家が関東にあったと観ています。

一方、埴輪ですが、関東とヤマトには違いがあることが指摘されてきました。

例えば、「捏造の日本古代史」(相原精次 2017)は、関東には西日本にない独特の個性的な埴輪が多数あることを紹介しています(下写真参照)。また、本著は、日本の古代史はヤマト中心で、関東の古墳や埴輪については軽視の傾向があることを指摘しております。

捏造の日本古代史(表紙)

関連し、今回は関東の埴輪の様相から、関東に独特の古墳時代分化があったこと、ヤマトの王家とは別の王家があったことを検討します。

まず、埴輪は陶器で、円筒埴輪と形象埴輪の2種類に大別されます。

円筒埴輪は、古墳の上に飾られた置物です。弥生時代末期の吉備(岡山)がルーツで、これがヤマト(奈良)に広がったと言われます。この意味でヤマトの埴輪は吉備国の影響が強いと言われるゆえんです。

一方、形象埴輪は人物、動物、船、家等の物を表現したものです。これら形象埴輪は、関東に出土例が多い傾向があります。関連し、Wikipedia には、国宝級の形象埴輪2点(すべて関東)、重要文化財41点(28点は関東)、その他著名な埴輪3点(2点は関東)、合計46点を紹介しております。

これら合計46点のうち、関東には32点(67%)があり、特に群馬には22点(国宝2点、重要文化財18点、その他著名2点)があり、形象埴輪は群馬に集中しております。(下図参照)

国宝等埴輪46点と地域

これらから見て、関東は形象埴輪の中心地、特に群馬には国宝など特徴ある埴輪が半数近くあることになります。まさに、群馬は形象埴輪文化の中心地であり、その文化の違いから、ヤマトとは別の王家があったと観てもおかしくありません。

関連し、「復元!日本最古級の出雲の人物埴輪展」によれば、人物埴輪について、「とくに石屋古墳出土の力士・椅子に座る人・武人形埴輪などは、人物埴輪成立初期のセットとしては、日本国内最古であることが判明しました」とあります。

古墳を建造した関東のツングース系王家は、出雲がルーツで日本海を北上し新潟当たりから南下し関東に来たと拙ブログでは予想しておりますが、人物埴輪のルーツも出雲となると、出雲―新潟―群馬(関東)は古代から道ができており、ヤマトよりも交流があったものと思われます。

一方、古代における関東とヤマト(奈良)をつなぐ道ですが、東海道と東山道を通る道が知られております。

東海道は、静岡辺りから多くの大小河川が道を遮り、関東に行く道は開けていない。一方、東山道は長い山道ばかりで道は開けていない。結論として、ヤマトから関東へ行くには、東山道の方が確実だが、遠い関係にあったことが知られております。詳しくは「大宝律令(701年)に関東は含まれていなかった」を参照願います。

なお、群馬にはヤマト朝廷から贈呈されたと思われる鏡「三角縁神獣鏡」が多数出土しております。「三角縁神獣鏡」は4世紀に製造され、ヤマト朝廷と臣下の関係を示す証として全国に配られたものと言われております。しかし、群馬は遠く、その後、系統的な関係は続かず、ヤマトと関東の王家は、それぞれ、独自の道を進んだのではないかと思われます。

なお、「三角縁神獣鏡」については、「三角縁神獣鏡が近畿に多い理由愚考」を参照願います。

まとめますと、埴輪の種類や発展経過から観ても、ヤマトと関東の王家は、それぞれ独立して発展した可能性が高いと思われます。その一つの理由として、両者の間に道が整備されていなかった問題が考えられます。

関連し、埴輪の流れと古代国家の関係について、上トップ図に示しました。



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Posted byレインボー

Comments 4

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fukuchan

韓国の埴輪と前方後円墳と日本はどんな関係があるのですか。

  • 2022/02/03 (Thu) 17:32
  • REPLY
motomasaong
埴輪の違いと地政学的評価

 形象埴輪は円筒埴輪に比べて装飾性が高いですから、もし、ヤマトが出雲と交流があったなら、ヤマトでも模倣して作られたと考えられます。さらに、もしヤマトが関東をも支配していたなら、関東で形象埴輪を作らせる、関東の埴輪職人を強制的に連れて来て作らせる事が出来たはずです。ヤマトに形象埴輪がないという事実は、ヤマトが関東を支配する事はなかったことを意味しています。
 出雲からは船を使えば北上して新潟に到るのは用意ですが、ヤマトから出雲に行くには、三重、滋賀の境界になっている鈴鹿山脈を通る必要があります。この山は花崗岩で出来ており、風化しやすく崩れやすく、山も険しい断崖絶壁です。
 鈴鹿山脈の一部が湯の山温泉で有名ですが、湯の山の登山道は険しい事で有名で、毎年のように滑落して死ぬ人が後を絶ちません。
 湯の山の山頂に行くにはロープウェーがありますが、アナウンスで「湯の山は役行者が開いた」とあり、普通の人々は山頂を訪れる事すらなかったようです。
 さらに北には日本最大の湖、琵琶湖があります。遠目には海のように見え、海沿いの地域なら船が利用可能ですが、山脈に囲まれた琵琶湖は海とは隔絶されており、船を利用するのは極めて困難です。無論、今でも琵琶湖を横断、縦断する橋もありません。
 埴輪の違い、地政学的な交流の難しさを考えると、レインボーさんの御指摘通り、ヤマトと関東、新潟が全てヤマトの支配下にあったと考えるには無理があると思います。

  • 2022/02/04 (Fri) 00:08
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Re: fukuchan様、韓国の埴輪と前方後円墳と日本の関係

fukuchan様
コメント、ありがとうございます。

韓国の埴輪と前方後円墳と日本の関係ですが、埴輪は韓国がルーツで出雲を経てもたらさされたものと思います。

一方、前方後方墳ですが、これは、韓国の方墳を基に日本で創られたものが、百済時代に日本との交流時代に韓国にもたらされた、と拙ブログは考えています。
草々

  • 2022/02/04 (Fri) 08:08
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Re: motomasaong 様、埴輪の違いと地政学的評価、参考になります

motomasaong 様
コメント、ありがとうございます。

埴輪の違いと地政学的評価、たいへん参考になります。
草々

  • 2022/02/04 (Fri) 08:14
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