現天皇家はアイヌ系、いつ頃分かったのか

現天皇家はアイヌ系、いつ頃分かったのか(天皇家のルーツと日本文化)
多数の巨大古墳を3世紀頃から建造したヤマトの王家は朝鮮半島由来のツングース系だったが、それらの巨大古墳建造に怒ったアイヌ系の継体王(在位:507-531年)がその王朝を滅ぼしたことを拙ブログでは検討してきました。
一方、継体王がアイヌ系だったことは、DNA研究(Y染色体ハプログループ分類)の結果、最近分かったことです。これまで、ヤマトの王家は朝鮮半島由来の弥生人と観られてきたことから察しますと大発見と思われます。
関連し、拙ブログでは、そのことを「天皇家のルーツはアイヌ系の継体王」として2020年に紹介しました。さらには、そのことが、日本語のルーツはアイヌ語、日本人の宗教観は縄文人(アイヌ系)と同じことと関連していることについても検討してきました。
しかし、最近出版された書籍を見ても、そのことに言及されている書籍は見当たりません。まるで、そのことは、無視されているのか、あるいはタブーのように見受けられます。
関連し、今回は、何故そうなっているのか愚考します。
まず、アイヌ系天皇のことが、いつ分かったのかですが、インターネット検索をしますと、2016年10月5日の「遺伝子ペディア -世界は大きな家族だった-」の「Y染色体D1b1系統」に出ています。
また、それ以前の関連するDNA記事として「日本人の遺伝子は特殊タイプ」(2007年)や「Imperial family descended from Jomon/Ainu of Japan」(2010年)等があります。
以上のことをまとめますと、現天皇家がアイヌ系であることは、2007年頃から分かり始めたが、2016年には多数の情報が集まり、ほぼ確定したと思われます。それから6年近く過ぎましたが、そのことを指摘する著名な研究者や書籍はまだ出てきていません。
例えば、ベストセラーにもなった「日本国紀」(2018年 百田尚樹)があります。しかし、それには、継体王が現天王家のルーツと思われることは指摘されていますが、アイヌ系の天皇だったことについてはまったく言及されていません。詳しくは「「日本国紀」は古代史に影響を与えたか」を参照願います。
また、「日本国紀」についてWikipediaによれば、次のような評価が紹介されています。
・・・ 同書の総合的な特徴として「教科書と大差ない淡白な通史的叙述と面白エピソード・豆知識、そして愛国談義が雑然と並んでいる。百田氏にこれらを統合する知的体力がないからである」と評し、同じ本の中で矛盾した記述をしているのにその点に無頓着なのは「そもそも百田氏が日本通史に全然関心を持っていない」からではないか、その根拠としてフランシスコ・ザビエルとルイス・フロイスを取り違えた記述があるとの指摘に対して百田が「どっちにしても外人や」と発言していることを挙げている[32]・・・ (引用終了)
以上の評価に、「教科書と大差ない淡白な通史的叙述と面白エピソード・豆知識、そして愛国談義が雑然と並んでいる。百田氏にこれらを統合する知的体力がないからである」とあるように、百田氏に期待しても無駄だと言うことでしょうか。
いずれにせよ、百田氏を含め、著名な日本史研究者が、アイヌ系天皇問題に言及していないのはおかしなことです。このことは、次回、さらに検討します。
関連し、アイヌ系天皇ルーツについて、上トップ図に示しました。

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