鳥取県青谷上寺地出土の弥生人は混愚考

鳥取県青谷上寺地出土の弥生人は混血愚考(日本人のルーツ)
昨年、「鳥取県青谷上寺地(鳥取市)で出土した1800年前の弥生時代の頭蓋骨を基に、その時代(弥生人)の容貌が復元されました(上図参照)。
関連し、今回は、その情報の妥当性について愚考します。
まず、その情報は「これが「弥生人」の顔…彫り深く低い鼻・髪は太く黒々、DNA分析で復元」に分かりやすく紹介されています。
その記事によれば、頭蓋骨とDNA解析の結果、父親は縄文系(アイヌ系)、母親は弥生系(朝鮮半島由来ツングース系)となっています。
その記事を参考に復元された顔立ちを見ますと、上トップ図のとおりです。彫りは深く容貌はアイヌ系、しかし、鼻は高からず、眼は一重で髭は薄くツングース系の感じがあり、まさにアイヌ系とツングース系の混血と観られます。その意味で、その情報はそのとおりと思われます。
弥生時代以降、特段の大きな人類移動が見られないことから推察しますと、日本人のDNAは弥生時代にほぼ出来上がったと思われます。
すなわち、弥生時代の日本人は、現在とほぼ同じく、アイヌ系が35%、インドネシア由来のマレー系が30%、朝鮮半島由来ツングース系が25%、その他10%と推定されます。詳しくは「最近のY染色体DNA情報と従来知見の修正」を参照願います。
そして、弥生時代は、アイヌ系、マレー系、ツングース系民族が混合し混血した時代と思われます。すなわち、上記の弥生後期に出土した人骨はアイヌ系とツングース系の混血ですので、混血の結果、新しい顔が生まれたことになります。
弥生時代は、弥生人(ツングース系)が縄文人(アイヌ系)を追い払う、あるいは支配したという時代と言われてきました。しかし、実際は、拙ブログ紹介してきましたように、縄文人は中山間に住み、従来の生活を続け、次第に農耕を受け入れていった。一方、弥生人(渡来人)は、水田稲作適地の平野部に広がっていったと観ることができます。
そして、このような混血人も居たことは、髭面のアイヌ系の男性が、朝鮮半島由来の色白で長身の女に憧れ、結婚した例のように見えます。
拙ブログでは、美人と言われる色白女のルーツは朝鮮半島のツングース系民族、その色白女への憧れは日本海美女になったことや浮世絵美人のモデルになったと検討してきましたが、この頭蓋骨情報は鳥取県(日本海)の例ですが、日本人男性の昔からの憧れが実現した1例と思われます。
なお、日本海美人については「色白高身長、秋田美人のルーツ愚考」、浮世絵美人については「信長の妹「お市」はツングース系浮世絵美女愚考」を参照願います。
簡単ですが、今回はこれで失礼します。

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