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弥生人と稲作民族は異なる愚考

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弥生人は2種居た


弥生人と稲作民族は異なる愚考(日本人のルーツ)

テレビや新聞雑誌情報等を見ると、朝鮮半島から高身長の弥生人が来て、水田稲作を広げ、弥生時代を作ったという記事をよく見かけます。一方、南方系の稲作民族が来て水田稲作を開始したという記事もあります。

これらから推察しますと、弥生人には朝鮮半島系と南方系の2種類居たことになり、情報が統一されていない感じがします。

関連し、今回は「弥生人と稲作民族は異なること」について愚考します。

まず、朝鮮半島由来で長身の弥生人ですが、彼らは稲作民族ではありません。彼らは、満州(中国東北部)で、モンゴル系と中国系が混合混血してできた新民族です。彼らは、言語はモンゴル系、生業は中国系(畑作)で、ツングース系民族と呼ばれております。詳しくは「北方系民族故郷の満州とツングース」を参照願います。

彼らが弥生人となったのは、水路や水田造成に必要な鉄器を持っていたこと、そして、その鉄器で水田稲作を全国に広げたことと思われます。

当時の水田稲作は、乾いた畑状水田に播種し、芽が出たところで水を入れる乾田直播様式だったため、畑作農民のツングース系民族にも取り入れることは容易であったと思われます。詳しくは「弥生時代稲作に田植えは無かった」、および「江南地方の稲作技術はセットで持ち込まれたのか」を参照願います。

なお、水田作がなぜ重要だったのかですが、畑作より多収であることです。肥料が無かった古代においては、水田稲作は、森から流れてくる栄養豊富な水から肥料を吸収できるため、肥料欠乏問題は発生せず連作可能です。一方、畑作では、肥料欠乏が起きるため連作は不可能です。焼き畑では15年に1回作るのが普通と言われます。

すなわち、水を引いて水田を造ると、それは永遠に使えます。詳しくは「水田稲作で人口が何故増えるのか」を参照願います。

一方、日本に来た稲作民族は南方系のマレー系であることは確実です。DNA研究(Y染色体ハプログループ分類)の結果、彼らは、マレー系Aとマレー系Bの2系統居たことが分かっています。

弥生時代に来た稲作民族と呼ばれるのはマレー系Bです。彼らは、中国南部で越族と呼ばれた稲作民族で、北上し、朝鮮半島南西部(百済地域)と北九州に住み着き水田稲作を始めました。

彼らは、後の邪馬台国や北九州倭国のベースになったと思われます。例えば、魏志倭人伝に邪馬台国の住民(倭人)は刺青(入れ墨)をしていたとありますが、それは、まさに彼らがマレー系の民族であったためと思われます。詳しくは「倭人の素顔が見つかった」を参照願います。

一方、マレー系Aは縄文時代から居たグループで、岡山で5000年前に陸稲栽培をしていたことが分かっています。また、彼らが海洋系であることから、5000年前の三内丸山遺跡で有名な海洋交易もマレー系Aが主役だったと思われます。詳しくは「古代海人族のルーツは海洋系マレーと思われる」を参照願います。

そして、マレー系AとBの割合ですが、縄文系のマレー系Aは20%、弥生系のマレー系Bは10%と判断されます。詳しくは「海洋系と稲作系のマレー系が別々に渡来してきた」を参照願います。

一方、ツングース系は25%です。これらのうち縄文時代の人骨調査で長身の縄文人が見つかっており、これらの人びとは縄文時代に来たツングース系と思われます。詳しくは「縄文時代から高身長の人は居た」を参照願います。

人骨調査から縄文時代のツングース系(長身人物)は少ないことが分かっておりますので、多く見ても全体25%のうちの5%ぐらいと見るのが妥当と思われます。すなわち、ツングース系は、縄文時代に来たグループが5%、弥生時代にきたグループが20%ぐらいと思われます。

以上、まとめますと、弥生人には朝鮮半島由来と南方系由来の2種居ますが、一般に弥生人と言われているのは朝鮮半島由来のツングース系民族です。一方、稲作民族と言われているのは、中国南部由来のマレー系の民族(マレー系B)です。そして、マレー系民族が水田稲作を導入し、それを普及したのが鉄器を持っていたツングース系民族と結論されます。

関連し、2種類の弥生人について、上トップ図にまとめました。



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Posted byレインボー

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