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関東の貝塚はマレー系Aが作った愚考

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レインボー

上高津の貝塚


関東の貝塚はマレー系Aが作った愚考(関東・東北の古代)

前回、「弥生系渡来民が来たとき、弥生系の人々は水田稲作のため平地を選んで居住しましたが、縄文系のアイヌ系は従来と同じく中山間に住み、また、縄文系のマレー系Aも従来と同じく海岸に住み海洋交易に関与していたのではないかと思われます」と結論しました。

関連し、今回は、縄文系のマレー系Aは、縄文時代、海岸に住み貝塚を作ったことについて、さらに検討します。

まず、貝塚については、東京湾岸、特に千葉に多いことが知られています。詳しくは「貝が関東の縄文人を救った」を参照願います。

また、東京湾の隣の霞が浦周辺も、同じく貝塚が多いことが知られています。我が家の近くの上高津貝塚(茨城県土浦市)もその一つで、そこには上高津貝塚ふるさと歴史の広場(考古資料館)があり、実物を見ることができます。

その場所は下図のとおりで、海岸(霞ヶ浦)から離れた陸地にあります。縄文時代は、縄文海進があり、この辺までが海岸だったようです。近くに荒川沖というJR駅がありますが、この地名は、この辺りが海岸だったことを示すようです。

上高津貝塚の場所

そして、この辺りは、関東平野の森からの水が流れ込み、栄養豊富で貝の育つには最適な環境だったようです。

貝塚の様子は上トップの写真のとおりで、資料館の画像を写したものです。

そこで本題の「関東の貝塚はマレー系Aが作った」ですが、その根拠は次の通りです。

1. 現代人のY染色体ハプログループ分類で、縄文時代の民族として、関東ではアイヌ系とマレー系Aが多数と認められるが、彼らの生活習慣から、アイヌ系は中山間に住み、海洋系のマレー系Aは海岸に住んでいた可能性が高い。

2. 茨城・千葉の人々の容貌は、マレー系に似て低身長や丸顔の傾向が認められる。

まず、1ですが、縄文時代の民族のアイヌ系とマレー系Aですが、前回資料を基にすると、地域別分布は下図のとおりです。関東では、アイヌ系は37%、マレー系Aは25%です。縄文時代、関東地方は人口が多かったことが知られていますが、その中で、マレー系Aも相当な人口があったと推察されます。

アイヌ系とマレー系の地域別分布


関連し、マレー系の人々の特徴ですが、故郷のインドネシアからアフリカのマダガスカルに移住したことは有名です。彼らは小柄であり、小さな小舟を操つることが得意な海洋系であり、海に親しい民族だった感じがします。詳しくは「古代海人族のルーツは海洋系マレーと思われる」を参照願います。

以上のことから想像しますと、縄文人のマレー系Aは海岸に住み、貝を主食に多数の人口があったのではないかと思われます。すなわち、マレー系Aは海の民と分類されます。

一方、アイヌ系ですが、栗を主食に中山間を中心に住んでいたことが知られていますので、アイヌ系は山の民と分類されます。

また、縄文晩期、寒冷化と火山噴火の影響で関東の人口は急減したことが知られております。こんななか、関東の海岸部では漁業の改善が見られます。これもマレー系Aの残したものと思われます。詳しくは「寒冷化時代、関東の縄文人は何処に住んで居たのか」を参照願います。

次に、2の茨城・千葉の人々の容貌です。

まず身長ですが、「北九州にマレー系民族が居たのか、現在の身長差から検討する」で紹介したことがありますが、北九州はマレー系の影響で低身長であることが明らかになりました。そこで、今回も同様な結果が得られるのか、同表を用い調べてみました。

茨城・千葉に対し、同じ海岸部にある北陸2県(新潟・富山)の2006年と2014年の身長(17歳男女)を比較しましたが、結果は下表のとおりです。

関東(茨城・千葉)と北陸(新潟・富山)の身長

本表から、茨城の身長は、男女とも、全国平均と同等か低い傾向が認められます。また、隣県の千葉も同様な傾向が認められます。この身長の特徴は低身長のマレー系の影響なのか断定はできませんが、可能性はあるという感じでしょうか。

なお、北陸(新潟・富山)の高身長は朝鮮半島由来ツングース系の影響と思われます。詳しくは「色白高身長、秋田美人のルーツ愚考」を参照願います。

おそらく、長い歴史経過の中で、貝塚を作った関東のマレー系の人々は、混血を繰り返し、マレー系の低身長という身体的特徴は明確には見えなくなってしまったのかもしれません。

一方、貝塚の多い霞が浦周辺の人々の容貌と関連し「霞が浦美人」でウエブ検索しますと、丸顔で可愛らしい顔立ちが多く出てきます。これは、マレー系美人の博多美人と同じ特徴です。このことは、霞が浦周辺はマレー系の人々が多かった地域であった可能性を示すものと思われます。

なお、博多美人については「丸顔、博多美人ルーツ愚考」および「秋田美人と博多美人のルーツの違い、身長差から」を参照願います。

まとめますと、縄文人には主要民族としてアイヌ系とマレー系Aが居ますが、アイヌ系は山の民、マレー系Aは海の民と分類されます。すなわち、茨城・千葉の貝塚は海の民のマレー系Aが作った可能性が高いと結論されます。事実、関東の人々はマレー系AのDNAの割合が比較的高く、かつ、茨城・千葉の人々に関しては、マレー系に似て低身長の傾向あり、また、茨城の霞が浦周辺にはマレー系に似て丸顔で可愛らしい顔だちが多い傾向が認められます。


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Posted byレインボー

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motomasaong
サハリンのアイヌの遺伝子は?

 貝塚を作った人々の骨は残っていないのでしょうか?
 もしそれが、主としてマレー系の遺伝子を持っており、現代人より比率が多いなら、レインボーさんの仮説を証明するデータになります。
 ただ、日本は酸性土壌ですから、骨が土の中では腐食し、残りにくい事も知られています。
 
 次に、サハリンのアイヌの遺伝子はどうでしょうか? 北海道のアイヌの遺伝子に比べ、アイヌ系の遺伝子の比率が多いなら、やはり本土のアイヌがマレー系などの混血である事が証明され、同じ事が本土全体でも起きた事を示唆するデータになります。
 あるいは、北海道のアイヌの墓の古い遺骨を調べれば、同じように時代が下るにつれて混血がすすんだ証拠になると思います。
 アイヌの方達の遺骨は日本政府が管理していますから、調べた研究者もいるのではないでしょうか?
 貝塚の貝は、同意性炭素などの技術である程度は年代がわかるでしょうから、当時の遺骨が残っていれば、実際に時代ごとに混血がどの程度進んだかも明らかにできます。
 もっと言えば、複数の遺骨が集まっている墓の骨を調べ、ある個体はマレー系が100%、ある個体が550%、ある個体がアイヌ系100%だった場合、純粋なマレー系、ハーフ、、マレーに嫁いだか入り婿となったアイヌが存在したことが証明でき、相互の婚姻があり、ハーフが居た証明になります。 
 これならばそれぞれの時代の墓を調査しなくとも、一カ所の墓の遺骨を全部、調べれば確認可能です。

  • 2022/07/10 (Sun) 09:54
  • REPLY
レインボー
レインボー
Re: motomasaong様、サハリンのアイヌの遺伝子は?

motomasaong様
いつも貴重なコメント、ありがとうございます。以下質問に応えます。

>貝塚を作った人々の骨は残っていないのでしょうか?
 もしそれが、主としてマレー系の遺伝子を持っており、現代人より比率が多いなら、レインボーさんの仮説を証明するデータになります。

○回答:貝塚を作った人々の骨の情報は聞いたことがありません
 
>次に、サハリンのアイヌの遺伝子はどうでしょうか? 北海道のアイヌの遺伝子に比べ、アイヌ系の遺伝子の比率が多いなら、やはり本土のアイヌがマレー系などの混血である事が証明され、同じ事が本土全体でも起きた事を示唆するデータになります。

○回答:サハリンも北海道も日本もアイヌはD型がほとんです。まれにモンゴル系のC型が認められるます。マレー系とアイヌ系の混血は少なかったのではないかと思われます。このことも居住地や生活習慣と関連があるような印象を受けます。

>アイヌの方達の遺骨は日本政府が管理していますから、調べた研究者もいるのではないでしょうか?貝塚の貝は、同意性炭素などの技術である程度は年代がわかるでしょうから、当時の遺骨が残っていれば、実際に時代ごとに混血がどの程度進んだかも明らかにできます。
 もっと言えば、複数の遺骨が集まっている墓の骨を調べ、ある個体はマレー系が100%、ある個体が550%、ある個体がアイヌ系100%だった場合、純粋なマレー系、ハーフ、、マレーに嫁いだか入り婿となったアイヌが存在したことが証明でき、相互の婚姻があり、ハーフが居た証明になります。 
 これならばそれぞれの時代の墓を調査しなくとも、一カ所の墓の遺骨を全部、調べれば確認可能です。

○回答:ご指摘のとおりと思われますが、残念ながら、貝塚の人骨については、がほとんど発見されていないのが現状と思われます。

草々
 

  • 2022/07/11 (Mon) 09:20
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