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先住民族アイヌ系のルーツ

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アイヌ系民族のアフリカから日本への移住


先住民族アイヌ系のルーツ

天皇家はアイヌ系 1.日本民族のルーツ 2)先住民族アイヌ系のルーツ

今回は「先住民族アイヌ系のルーツ」について検討します。

日本人は、アイヌ系35%、マレー系30%、ツングース系25%、その他10%の混合混血民族です。

DNA研究(Y染色体ハプログループ分類)の結果、アイヌ系の男性(Y染色体ハプログループD1型)は、日本全国に居ること、特に、北海道、沖縄に多いこと、さらには、関東・東北に比較的多いことが明らかになりました。

このことは、アイヌ系男性の特徴である髭の濃さからも推定されます。観察しますと、関東・東北の男性は髭が濃く、西日本の男性は髭が薄い傾向があります。

一方、日本にはアイヌ差別問題がありましたが、天皇家はアイヌ系であることがわかり、この問題は消えていくものと思われます。
次に、アイヌ系民族のルーツです。

人類がアフリカに誕生し、世界に広まったことは、ほぼ定説になっています。第一の理由は、最古の人骨がアフリカの大地溝帯(ケニヤ、ツルカーナ湖周辺)で多数見つかっていることです。アフリカ全体で見ますと、30万年の人骨も見つかっており、人類誕生は30万年以前上と推論されます。

最初の人類のY染色体ハプログループはA型、アフリカで発生しました。アイヌ系のハプログループはD1型ですが、彼らはアフリカで、A型からB型、C型、D型と分化する過程で発生し、その後、アフリカを離れ、日本に移住したグループと言われます。そこで、どのような経路でたどり着いたかは興味深いところですが、結論は出ていません。

同じD1型がチベット人やインド東南部のアンダマン諸島人に認められることから、彼らはまずインドに行き、北部高原に行った者はチベット人、東南部に行った者はアンダマン諸島人になったものと思われます。

アイヌ系のハプログループ(D1a2a)はアンダマン諸島人(D1a2b)に近いこと、沖縄諸島に多数認められることから推察しますと、アイヌ系はアンダマン諸島人と別れ、当時陸続きだったインドネシア辺りにあったスンダランド大陸に向かい、その後、北上し、沖縄諸島を経て日本本土に着いたと思われます。

当時は氷河期ですが、スンダランドは赤道直下にあり、冬でも暖かく、雨も多く森があり、人類が住むには最適の環境だったようです。

次に、日本へいつ着いたかですが、日本の旧石器時代になります。旧石器時代遺跡で最古の遺跡は、島根県出雲市の砂原遺跡(約12万年前)、次いで、岩手県遠野市の金取遺跡(9〜8万年前)となっています。

また、旧石器時代と新石器時代(縄文時代)の関係ですが、旧石器時代遺跡の多いところは縄文時代遺跡も多いことが分かっています(下図参照)。このことは、縄文人=旧石器時代人で、ほぼ間違いないと思われます。すなわち、アイヌ系=旧石器時代人=縄文人という関係になります。

旧石器時代と縄文時代の遺跡数の関係

以上のことから推察しますと、アイヌ系は12万年前には日本に着いていたと結論されます。ここから逆算しますと、アイヌ系は20万年前頃にアフリカで発生し、インドを経て15万年前頃にスンダランド、12万年前に日本(島根県砂原遺跡)に着いたと想像されます。

アイヌ系は、北海道の少数民族と思われてきましたが、アイヌ語に関連した地名が日本全国にあることから、日本の先住民族であったことが分かっていました。しかし、その後、朝鮮は半島から北弥生人によって北海道と沖縄に追いやられてしまったと思われてきました。

しかし、最近のDNA研究は、地域差はありますが、30~40%の頻度で全地域にアイヌ系ハプログループD1型のあることが分かりました。すなわち、弥生時代、アイヌ系は弥生文化を取り入れ、弥生人になったと判断されます。

弥生時代のアイヌ系ですが、当初は縄文時代と同じく栗を主食にして中山間に住んでいました。そして、平野部に朝鮮半島からツングース系弥生人が入ってきて水田稲作を始めると、中山間に居たので対立は無く棲み分けていた感じがします。

そして、平野部が水田稲作で豊かになってくると、アイヌ系も水田稲作を取り入れていったと思われます。当然のことですが、当時の稲作は乾田直播だったため漏水問題があり、中山間地の多くは稲作の適地ではありませんでした。

これらのことは、遺跡数から見た、内陸県と平野部のある低地県の人口変動から推定されます。すなわち、弥生時代、内陸県(中部地域)では人口増加が少なく、低地平野部で人口が増加し、一方、古墳時代は平野部で人口増加が停滞し、中山間地で人口が増加しています。

そして、その後、古墳時代時代後期、弥生系のツングース系と縄文系のアイヌ系の間に激しい権力闘争があり、アイヌ系が勝利したと判断されます。これらのことは、DNA研究の結果、天皇家のルーツはアイヌ系であることが判明したことから分かったことです。

関連し、日本語のルーツもアイヌ系であることが分かったのが最近の知見と思われます。また、日本独特の宗教と言われる神社宗教もアイヌ系の自然との共生や多神教がベースになっていることが分かってきました。

関連し、アイヌ系民族の日本へ移住経過について、上トップ図に示しました。



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Posted byレインボー

Comments 2

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motomasaong
非常に説得力のある学説ですね。

 氷河期にナウマンゾウが地続きだった日本に渡ってきたというような話を小学生時代に読みました。
 近年だと、「ice age(氷河期)」というディズニーアニメで、マンモス=氷原=氷河期という扱いをされていましたが、本当に一面氷の大地であったなら、マンモスが食べる植物もありませんから、変だなあと思っていました。
 人類も同じことであって、イヌイットがグリーンランドで暮らせるのは、凍っていない海にすむアザラシなどを食べているからであり、海から離れた大陸が一面の氷原ならば、植物がないなら草食獣は生きられず、それを餌にする肉食獣も生きられませんから、人間も食料を得られず、移動どころではないはずです。
 けれども、イヌイットがいい例であって、海に隣接した氷原ならば、そりで移動しながら海獣を食料に出来ますし、凍っていない赤道直下の海を船で移動するならば、水さえ確保できれば魚を食料にして旅をつづける事が可能です。生の魚を食べれば壊血病も防げるでしょう。

 そう考えるならば、人類が氷河期において、温暖な赤道直下の海沿いに移動したと考えるのは極めて自然な事です。

 アイヌは中国大陸や択捉から訪れたと言う古い学説もありますが、赤道直下の海路で南から日本を訪れ北上したと考える方が理にかなっていると思います。

  • 2022/08/18 (Thu) 18:34
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レインボー
レインボー
Re: motomasaong様、非常に説得力のある学説ですね。

motomasaong 様
いつも貴重なコメント、ありがとうございます。

また、拙ブログ内容に理解いただき、ありがとうございます。
草々

  • 2022/08/19 (Fri) 10:21
  • REPLY