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稲作民族マレー系のルーツ

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マレー系の日本移住


稲作民族マレー系のルーツ

天皇家はアイヌ系 1.日本民族のルーツ 3)稲作民族マレー系のルーツ

日本人は、アイヌ系35%、マレー系30%、朝鮮半島由来ツングース系25%の3大民族の混合混血ですが、今回は、アイヌ系に次いで多いマレー系のルーツについて検討します。

まず、日本のマレー系ですが、地域別では25%~35%に分布し(全体30%)で、関東や九州に多く、中国や沖縄に少ない傾向があります。Y染色体ハプログループはO1b型ですが、このハプログループO1bはインドネシア(特にバリ島)に多いことから、ルーツはインドネシアでほぼ間違いないと思われます。その意味で、呼称はインドネシア系でも良いと思われます。

マレー系のルーツで注意すべき点は、縄文時代に来たグループのマレー系A、弥生時代に来たグループのマレー系Bの2種が居ることです。Y染色体ハプログループは、マレー系AがO1b2-47z、マレー系BがO1b2*(x47z)と学術的に分類されています。

割合は、マレー系Aが20%、マレー系Bが10%です。一方、朝鮮半島では、逆に、マレー系Aが10%、マレー系Bが20%です。すなわち、日本ではマレー系A(縄文系)が多数派、朝鮮半島ではマレー系B(弥生系)が多数派です。

このことは、それぞれの国の歴史発展と関係しています。例えば、日本では、縄文時代の三内丸山遺跡の海洋交易が知られていますが、それにはマレー系Aが関係したと思われます。

一方、朝鮮半島で多い弥生系マレー系Bは、朝鮮半島南西部で水田稲作を開始し、百済建国をしたことと関係しています。

また、縄文時代の人骨に低身長の者が多く発見されておりますが、これはマレー系の低身長に由来すると見ると、マレー系が縄文時代から居た証拠と思われます。

縄文時代、彼らマレー系Aがどこに住んでいたかですが、アイヌ系については中山間で栗を主食にしていたことが知られていますが、一方、マレー系Aは海岸部に住んでいたと思われます。

例えば、関東の海岸部に多数の貝塚が発見され、同時に関東にはマレー系Aのハプログループが多数見られることから、これら貝塚はマレー系Aが遺した遺跡と推察されます。

これらマレー系Aの有名人に藤原家があります。彼らはもと中臣鎌足がルーツですが、乙巳の変(大化の改新 645年)を起こした者として有名です。そのときは宮廷豪族の一人ですので、現アイヌ系王朝の始祖と思われる継体王(在位:507-531年)時代からの豪族で、マレー系グループの代表格で豪族になっていた可能性があります。

また、マレー系は稲作民族でもあります。世界で最も古い稲品種はインドネシア陸稲です。日本でも、縄文時代(6000年前)岡山で陸稲栽培があったことが知られていますが、これは、先に広がったマレー系Aが持ち込んだ稲作と思われます。

一方、最古の水田稲作ですが、中国南部江南地方(揚子江流域)で始まりました。この稲作文化は7000年前の河姆渡(かぼと)遺跡で有名ですが、この稲作文化は世界4大文明と言われる畑作を主とした黄河文化に先行していました。

この稲作遺跡は、水田稲作を導入した越族の文化と言われますが、関連情報を総合しますと、越族=水田稲作民族=マレー系Bと判断されます。その後、越族は、北上し、山東半島を経て朝鮮半島と北九州に水田稲作を3000年前に伝え、日本の弥生時代の先行文化を作ったことになります。このことは、北九州にマレー系Bのハプログループが多いことからも確認されます。

弥生系マレー系Bは、北九州に水田稲作を持ち込みましたが、関連し、言葉や容貌も残したと思われます。

まず、言葉ですが、北九州方言に、ヨカ、ソウヤロ、バッテン等がありますが、これらはマレー語がルーツと思われます。それらをマレー語で直訳しますと、ヨカ(ya + kah)=良いですか、ソウヤロ(Sah + ya + roh)=そうでしょう、バッテン(Batin)=違うね、と日本語とほぼ同じ意味になります。また、古語になりますが、イトオカシ、アナオソロシ等もマレー語がルーツと思われます。

次に、容姿ですが、博多美人があります。顔が小柄で可愛らしい特徴がありますが、この容貌はマレー系女性と一致します。マレー系は色黒ですが、中国南部を経て北上して北九州に着きましたので、この過程で中国系と混血し、色黒の特徴は弱くなったと想像されます。

また、三内丸山遺跡の海洋交易で触れましたが、マレー系の特徴として、海洋系であることがあります。彼らは、インドネシアからアフリカ・マダガスカルに1世紀頃に移住したことが知られております。

彼らは、インド洋にある島から島へ移動し、直接マダガスカルに着いたと言われたことがありました。しかし、最近、隣のタンザニアにマレー系民族の居住跡が発見され、アジア南部、アラビア半島南部、アフリカ大陸東部を経てマダガスカルに着いたことが明らかになりました。

また、彼らは、この過程で、アジア稲のほかバナナなどアジアの重要作物をアフリカに伝えたことが知られています。

これらの関係を上トップ図に示しました。なお、マレー系Aの経路は想像です。


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