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古墳王家は鉄と水田稲作で発展した

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水田稲作普及経過


古墳王家は鉄と水田稲作で発展した

天皇家はアイヌ系 2.巨大古墳王家は何故滅びたのか 2)古墳王家は鉄と水田稲作で発展した

日本最初の水田稲作は、中国南部(揚子江流域)で稲作を行っていた越族(マレー系B)が北上し、山東半島を経て朝鮮半島南西部と北九州にもたらしたものです。

その稲作は、もともとの中国南部の稲作をモデルにしたものです。中国南部は雨期と乾期があり、乾期に農地(乾田)を除草し、播種します。その後、雨期の雨で稲が育ち、水がひいた乾期に稲を収穫する農法です。本方法では、雨期に水位が上がりますが、そのとき、稲が沈まない水位の場所であれば乾期に収穫できるという自然農法に近い稲作です。

本方法は、種播前に除草し、整地した土に播種するだけの技術で、最も簡単な農法です。かつ、畑作と異なり、肥料は森から流れてくる水の中に含まれており、肥料は入りません。また、水は殺菌作用があり、連作障害の基となる土壌病害の発生もありません。

本農法は低収ですが、畑作と比べると、確実に収穫が毎年あり、当時の農業としては最も安定した食料確保技術でした。この農法の結果、中国南部では、5000年前の畑作文化(黄河文明・竜山文化)に先行した揚子江文明が築かれました。その代表的遺跡が7000年前の河姆渡(カボト)都市遺跡と思われます。

日本で水田稲作が始まったのが3000年前の北九州の菜畑遺跡ですが、この農法は、上記中国南部と同じ乾田直播農法でした。古代の弥生水田を調査した那須(2014)の報告によれば、畑雑草が多かったことが明らかにされておりますが、これは乾田直播農耕の特徴です。

また、乾田直播稲作の適地ですが、こうした稲作を行うことができるのは、漏水の少ない低地平野部で温暖な場所だけです。

中山間部の多くは漏水問題があり、低地のような収量は得られません。漏水が多いと水田は貯めた水がすぐ無くなり、かつ水を入れると水は冷たく暖まりにくく、稲は夏を除き良好に生育できない環境になります。

なお、こうした漏水問題が解決し、中山間部でも稲作ができるようになったのは、漏水を防ぐ技術の確立、すなわち代掻きにより漏水を防ぎ、かつ、田植えが始まった時期からです。この時期は平安時代後期ですが、この方法が確立しますと、水田の価値は高まり、その水田を守るために武士が登場しました。また、「日本は豊葦原瑞穂の国」と言われるようになったのも平安時代後期以降のことになります。

北九州で3000年前に稲作が始まりましたが、それから、800年、ほとんど発展していません。その理由は、水田開発や水路開発のための鉄器の無かったためです。その意味で、鉄器を持ったツングース系が現れるまで、本格的水田開発は日本で無かったことになります。

次に、ツングース系が水田稲作をどこで学んだのかですが、弥生稲作の進んでいた朝鮮半島南西部と思われます。朝鮮半島では有名な弥生稲作遺跡として松菊里遺跡が知られています。ツングース系の主な居住地は隣の南東部ですので、おそらく、彼らは朝鮮半島南部で稲作を知り、日本に来たと思われます。

まとめますと、日本に移住してきたツングース系の多くは、畑作の経験があり、かつ水田稲作を知っており、かつ、水田開発に必要な鉄製農具を持っていました。一方、日本は、中山間にアイヌ系、海岸部にマレー系が住んでおりましたが、水田稲作適地の平野部にはほとんど人はおらず、日本移住後に、彼らは西日本の多くの平野部で水田稲作を独占的に行うことができました。

この結果、弥生時代、ツングース系民族はいち早く豊かになり、人口が増え、その中からツングース系王家が創る者が現われました。まさに、水田稲作は王家の基を創ったと判断されます。

なお、水田稲作の先輩に、日本では北九州に移住したマレー系Bが居ました。しかし、彼らは水田開発のための鉄器はもたず、かつ、日本に来た仲間は日本人全体の10%と少なく、日本ではツングース系が20%と多数であり、水田開発に遅れました。一方、朝鮮半島南西部ではマレー系Bは多く、朝鮮半島全体の20%も居て、後に百済建国の中心民族となりました。

また、繰り返しになりますが、マレー系は日本全体で30%居ますが、そのうち縄文時代に来たマレー系Aが20%、弥生時代に中国南部から来たマレー系Bが10%となっています。

関連し、水田稲作導入発展経過を上トップ図に示しました。



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Posted byレインボー

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motomasaong
農耕馬や牛は?

 代搔きは重労働です。けれども、鉄製農具を牛、馬に引かせれば人力よりはるかに効率よく田を活用できます。

 田と人口の増加と牛、馬の導入は関連性があるのでしょうか?

  • 2022/09/30 (Fri) 15:39
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レインボー
レインボー
Re: motomasaong様、農耕馬や牛は?

motomasaong 様
いつもコメント、ありがとうございます。

田と人口の増加と牛、馬の導入は関連性ですが、大きく関係しています。
しかし、それが始まったのは代掻き(田植え)が始まった平安時代後期からと思われます。

古墳時代の水田稲作は、基本的に弥生稲作と同じく手作業でした。
そして、収量は安定しているが低収、籾でほぼ1トン/haだったと推定されています。

  • 2022/10/01 (Sat) 10:06
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