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アイヌ系の継体王が新王朝を開始

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ツングース系王家の滅亡経過(5世紀)



アイヌ系の継体王が新王朝を開始

天皇家はアイヌ系 3.古墳王家はアイヌ・マレー系連合に滅ぼされた 1)アイヌ系の継体王が新王朝を開始

日本の古代史では、継体王は第25代天皇(在位:507-531年)と知られております。そして、その系譜は応神天皇の傍系の末裔(福井出身)であるとされています。

しかし、冒頭(はじめに)で示しましたように、最近のDNA研究(Y染色体ハプログループ分類)の結果、継体王はアイヌ系であることが明らかになりました。一方、応神天皇は朝鮮半島由来のツングース系であることは確実です。

したがって、継体王が応神天皇の末裔ということは日本書紀の創作(虚構)になります。また、継体王以前の天皇記録は実在したツングース系王家の王か創作になります。なぜ、このような創作を行ったかについては後の「第4章.日本書紀は創作」で詳しく検討します。

次に、アイヌ系継体王が、どのように新王朝を開始したかですが、新情報を基に検討すると、次のようなステップだったと思われます。

1. ツングース系王家が過度な巨大古墳建造を行い、民衆を疲弊させ、アイヌ系等の民衆の怒りが高まった。

2. 継体王は福井のアイヌ系豪族であり、おそらく、北陸や近辺のアイヌ系をまとめ、かつ、良港のある福井の地を利用し、百済や北九州倭国と交易していた。

3. 一方、北九州には中国南部由来の弥生人系マレー系Bの築いた倭国があり、5世紀には朝鮮半島南部をも支配する王「征東大将軍」の称号を中国南朝から得た倭国王武(倭王武)が居て強国になっていた。また、同時に、倭国の隣の東九州(大分、宮崎、熊本)では、ヤマトのツングース系王家が支配するようになり、北九州倭国はヤマト王家と対立していた。

4. また、朝鮮半島には、同じくマレー系Bの築いた百済が朝鮮半島南西部にあり、倭国と共同して北部の高句麗と対決していた。

5. 以上の背景から、ヤマトのツングース系王家打倒のため、アイヌ系継体王とマレー系北九州倭国(+百済)の協力関係ができあがった。

6. ヤマト(奈良・大阪)のツングース系王家の西日本の重要拠点は、その象徴としての前方後円墳が多数建造されていた宮崎と吉備(岡山)の2カ所と判断されるが、初めの戦いは宮崎で起こった。九州南部の中山間にはアイヌ系が多く居て、これらアイヌ系と共同して、マレー系倭国は熊本(高千穂)方面から宮崎を攻めたと思われる。

7. さらには、九州南部海岸部には、縄文時代から居たマレー系Aの隼人も宮崎の戦いに参加し、ツングース系宮崎は滅んだ。(隼人について詳しくは、「(3節)古墳王家は宮崎から滅びた」で報告します。)

8. ツングース系王家の宮崎が滅びた後、次の戦いは吉備に移った。吉備も巨大古墳建造で民衆の怒りをかい弱っていたが、北九州倭国は西側から、アイヌ系は北の島根と東の兵庫から攻め、吉備も滅んだ。

9. 最後はヤマト(大阪・奈良)の攻防になった。継体王は大阪北部の西宮に拠点(後の王宮)を築き、大阪の河内王家と対峙したが、これを見て大阪南部の河内にあったツングース系王家は逃げ、古巣のヤマト(奈良)に集結した。

10. ツングース系王家は、ヤマトで再起を期したが、アイヌ系部族等連合に四方から攻められ、5世紀末期に滅び去った。このヤマトの戦いの様子は日本書紀の神武東征最後のヤマトの戦いに似ていると思われる。

11. ツングース系王家を滅ぼした継体王はアイヌ系王家を507年に開始した。なお、503年に百済の武寧王から王位即位のお祝いの鏡が届いているところから見ると、ヤマト王家滅亡直後には王家を開始できなかったと判断される。おそらく、新王家をまとめる文官がアイヌ系等の豪族にはいなかったためと思われる。

12. そこで、継体王は、百済の武寧王に依頼し、文官を百済から迎えることによって新王家を開始できた。おそらく、この時の文官は、その後権力者になった蘇我家と思われる。

関連し、ツングース系王家滅亡(5世紀)の様子を上トップ図に示しました。



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Posted byレインボー

Comments 2

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motomasaong
政治の如何を議論すべきですね。

 もし、ツングース系がアイヌやマレー系と融和し友好関係を構築し、一方的な支配や搾取を実施していなければ、あえて継体王がクーデターを起こす必要などなかったでしょう。
 何故、継体王のクーデターが起きたかと言えば、それはツングース系が悪政を行ったから、と言うよりも、ツングース系だけが権力を掌握し、多数派であるアイヌやマレー系だけが差別されたからです。
 政治の公正性、独裁政治ではないこと、多数派である被支配者層への差別や搾取がない事、異民族との友好関係、これらこそが平和の維持に必須であるはずです。
「どの民族が」ではなく、「公正な政治と差別撤廃」こそが政権維持には必須である、これは世界史も証明していますし、もしそれが出来ていたなら、ウクライナ戦争もなかったでしょう。
「現在の政党、権力者の政治内容の評価こそが多数派である国民に必要な要素である」、これが継体王の革命から学べる教訓だと思います。

  • 2022/11/04 (Fri) 13:40
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レインボー
レインボー
Re: motomasaong 様、政治の如何を議論すべきですね。

motomasaong 様
いつもコメント、ありがとうございます。

ご指摘の「現在の政党、権力者の政治内容の評価こそが多数派である国民に必要な要素である」ですが、そのとおりだと思います。なお拙ブログでは古代の真実を追究していますので、現政治との関連は検討していません。

  • 2022/11/05 (Sat) 07:59
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