fc2ブログ

古墳王家は宮崎から滅びた

2 Comments
レインボー

ツングース系王家は宮崎から滅びた


古墳王家は宮崎から滅びた

天皇家はアイヌ系 3.古墳王家はアイヌ・マレー系連合に滅ぼされた 3)古墳王家は宮崎から滅びた

朝鮮半島由来ツングース系王家(古墳王家)は、初めに出雲王家を3世紀前期に創り、次いで、ヤマト(奈良)に移動し、近畿地域を支配する大王家に発展しました。その象徴的古墳は3世紀末に建造された墳長276mの箸墓古墳でした。

さらに、王家は支配地を広げ、マレー系の支配地域であった吉備(岡山)を手に入れ、そこにツングース系王家象徴の357mの巨大古墳「造山古墳」を5世紀に建造しました。

さらに、ツングース系王家は、馬と構造船を手に入れ、支配地を東九州まで広げました。その西南端は宮崎・鹿児島と思われます。そして、そこに、100m以上の前方後円墳をいくつか建造しましたが、その象徴的古墳は宮崎の西都原古墳群と思われます。

それらの古墳からは、吉備産と思われる円筒土器が大量に発見さていますので、吉備と宮崎は、同じツングース系の支配地だったと思われます。(下表参照)

東九州における墳長100m以上の前方後円墳

そして、それら前方後円墳の分布から見て、ツングース系王家は、ヤマト(奈良・大阪)、吉備、宮崎に拠点があったと思われますが、最初に滅びたのが宮崎と判断されます。

その宮崎が最初に滅びた理由は次の5点です。

1. 宮崎の王家はあまり大きくなかった。

 ツングース系王家象徴の前方後円墳の分布ですが、東九州で見ますと、100m以上の大古墳は、大分2基、宮崎6基、鹿児島2基で、宮崎で最も多く、かつ、サイズも宮崎が大きい。しかし、ヤマトに見られるような200m以上のものはなく、それほど大きな王家ではなかったと思われます(上表参照)。

2. 北九州倭国の領域は福岡、佐賀、熊本であり、宮崎は倭国の隣にあり、攻めやすい地にあった。

 その熊本の山間部を東に抜けると、そこは宮崎であり、宮崎は攻めやすい地にあったと思われます。
 
3. 宮崎や周辺の山間部には縄文時代由来のアイヌ系が多かった。

 縄文時代遺跡は南九州(熊本、宮崎、鹿児島)に多く、縄文時代からアイヌ系が多く居た地域でした。その居住地は、中山間部ですが、一方、稲作を導入したツングース系は稲作適地の平野部を支配していたと推察されます。そして、アイヌ系は古墳建造など使役され、ツングース系王家と対立していたと思われます。

4. 縄文時代から海洋交易を担っていた隼人という集団が居て、北九州倭国側に身方し、この戦いに参戦した。 

 関連し、隼人の存在ですが、ブログ「鬼と仏の国東半島めぐり」の記事「養老年という時代-隼人討伐その後」によれば、奈良の大和朝廷が720年に大隅(鹿児島)・日向(宮崎)の隼人討伐を大分の「宇佐宮」に命じたとあります。この記事から推察しますと、宮崎・鹿児島でツングース系が滅びた後、宮崎・鹿児島を支配していたのは隼人になります。おそらく、隼人は、縄文時代から海岸に居住し海洋交易をしていたマレー系集団と思われますが、アイヌ系と同じく古墳建造など使役され、反ツングース系であったと思われます。そして、ツングース系宮崎を滅ぼした後、宮崎と鹿児島を支配していたのではないかと思われます。 

 なお、関連し、鹿児島には熊襲が居て中国南部がルーツという情報もありますが、一方、マレー系隼人も中国南部がルーツです。熊襲と隼人が同一なのか、これから検討が待たれます。

5. その他、天孫降臨の地

 以上の結果、北九州倭国、南九州の中山間に居たアイヌ系、さらには南九州海岸部に居た隼人が連合してツングース系王家の宮崎を滅ぼしたと想像されます。

 さらに、その他になりますが、宮崎が先に滅びた理由として、日本書紀の記述によれば、宮崎の高千穂は神武天皇降臨の地となっています。また、神話の時代、山彦は海彦と戦い、勝利したとなっています。山彦は神武天皇の祖父の関係にあります。これらの記述から想像しますと、アイヌ系王家の最初の勝利の地が宮崎であり、ここから王家は東に進み、ヤマトのツングース系王家を滅ぼし、現王家を創った、ということが示唆されます。

関連し、これらの関係のまとめを上トップ図に示しました。


日本史ランキング
レインボー
Posted byレインボー

Comments 2

There are no comments yet.
motomasaong
カムイと天皇

 神という単語は汎神論であったアイヌのカムイに由来しているとの事でした。
 古事記・日本書紀にも、天皇が神の末裔だという記述があります。天皇という用語を使い始めたのは天武天皇かと思いますが、神の概念そのものはそれ以前から存在し、おそらくは傑出した人物や権力者を神として捉えていたと考えられます。コタンカムイなど、動物や自然を神と考えていたのですから、人間でも優れた人物を神と考えたとしても不自然ではありません。
 ツングース系についてはデータがありませんが、スサノオや大国主命など、おそらくはツングース系と考えられる人々、支配者階級が神として古事記その他に記録されたのは興味深いです。
 もし、ツングース系が残酷な搾取者、支配者、独裁者でしかなかったのなら、大国主が慈悲深い人物であったなどの記録が存在しないはずです。同じツングースでもいろいろな人物がいたのでしょうが、歴史に埋もれてしまっているのが残念ですね。本当は抹消したかったが消すに消せなかった理由があったはずです。神話は全てが荒唐無稽で政治支配のために捏造されたと考えるよりは、もともとあったカムイ信仰や優れた人物の記憶を土台にして利用したと考える方が自然です。ツングース系は歴史から消し去られましたが、神話にその一部が残っている可能性があります。その点はいかがでしょうか?

  • 2022/11/19 (Sat) 09:47
  • REPLY
レインボー
レインボー
Re:motomasaong様、 カムイと天皇

motomasaong 様
いつもコメント、ありがとうございます。

ご指摘の「ツングース系は歴史から消し去られましたが、神話にその一部が残っている可能性があります。その点はいかがでしょうか?」ですが、そのとおりだと思います。

この方面は、4章の日本書紀は創作で検討する予定ですが、ご指摘のオオクニヌシ(大黒様、豊穣の神、農業の神)もその1人と思われます。

  • 2022/11/20 (Sun) 09:06
  • REPLY