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継体王は百済から先進文化を導入した

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蘇我家のルーツは百済


継体王は百済から先進文化を導入した

天皇家はアイヌ系 3.古墳王家はアイヌ・マレー系連合に滅ぼされた 4)継体王は百済から先進文化導入

前前回、百済の武寧王から王位就任のお祝いの鏡が503年に届けられたこと、しかし、継体王(在位:507-531年)が王位に就いたのは507年ことであったことを紹介しました。

これの就任の遅れは新王家開始のための文官が居なかったためと判断されますが、今回は、これら文官を百済から集めたことについて検討します。

まず、ヤマトのツングース系王家は、北九州を除く西日本のほとんどを支配し、巨大な古墳をいくつも建造しました。このため、この巨大王家を支える文官が居たことは間違いありません。

しかし、王家の記録が何も残っていないことから想像しますと、巨大古墳建造を強行したツングース系王家に対する民衆の怒りは大きく、王家の武人だけでなく文官も殺され、王宮や文書は焼き払われたのが真相と思われます。

一方、継体王を支援した部族はアイヌ系とマレー系と判断されますが、彼らは武人や交易人としては使えるが、文字は知らず、王家の財政等を管理できるものは居ませんでした。

このため、新王家開始に当たっては、一から準備しなくてはならなかったのが真相と思われます。事実、継体王の王宮跡は樟葉宮(くすはのみや、大阪府枚方市)、陵墓は今城塚とほぼ確定しておりますが、その調査によれば、大きな館はなく、小さな王家だったことが想像されます。(下図参照:「継体天皇 二つの陵墓、四つの王宮」(西川寿勝氏ら2008)の図を著者編集)

継体王の陵墓と王宮場所(「継体天皇 二つの陵墓、四つの王宮」(西川寿勝氏ら2008)の図を著者編集)

幸い、百済は朝鮮半島で中国南朝からの仏教導入を初め、最も進んでいた国家であり、かつ継体王支援国家でしたので、継体王が文官派遣を依頼したのは当然のことと思われます。

継体王は、百済から五経博士を招き、日本で初めて文字を導入した王として知られておりますが、これは、以上の背景があったためと思われます。

そして、このとき百済から派遣された中心人物が蘇我氏と思われます。その理由は次のとおりです。

まず、継体王を支えた豪族として、物部氏や大友氏が知られております。彼らは軍事面を担当し、大連(おおむらじ)という役職をえています。彼らは、ツングース系王家との戦いで軍部の面で戦果をあげたのではないでしょうか。

一方、蘇我家は財務を担当し、唯一の大臣職と言われ、破格の待遇です。当然のことながら、財務には算術的能力や文書能力が必要です。そのような新王家を支える文官人材は、当然のことながらアイヌ系豪族には居ませんでした。

関連し、百済の住民は南方由来マレー系で中国南朝と関わりが深いことが知られています。そして、漢字の読み方には南方読みと北方読みがありますが、このとき、使われたのが南方読みの漢字です。日本には、その南方由来の読み方が伝わったと思われます。例えば、一、二、三、四、五は、南方読み(例えば福建語)でイー、ジー、サン、シ、ゴと読みます。一方、北方読みではイー、リャン、サン、スー、ウと読みます。
  
以上の経過から、蘇我家は、五経博士に先んじて日本に来て、始まったばかりのアイヌ系王朝の財務大臣という職を得て、国の政治に関わったものと思われます。アイヌ系の継体王朝は始まったばかりで、その財務大臣に異を唱えるアイヌ系豪族はなく、その地位を生かして勢力を伸ばしたと判断されます。

例えば、継体王時代は蘇我高麗(こま)の時代で、その2代目の稲目は二人の娘を妃に出した豪族です。おそらく、蘇我氏は百済系美男美女の家系で、娘も美女だったので、そういうことができたのだと思われます。

関連し、その時代、百済王として部寧王が知られております。その容貌については前前回に紹介しましたが、凛々しいハンサムな武人の顔立ちです。おそらく純系のマレー系ではなく、中国人との混血と推察されます。

蘇我高麗が部寧王のようなハンサムであったか確定できませんが、蘇我高麗が、百済出身で、この像のような顔立ちだとすると、その2代目の稲目もハンサム、その娘は百済系美人として天皇妃となった可能性があります。

また、蘇我高麗(そが・こま)という名前もマレー系百済出身の感じがします。例えば、「ソガ」に近い言葉に「サガ」(美しいもの、英雄)があります。また名前の「コマ」は後の朝鮮半島の高麗国と同じです。

蘇我家は、高麗→稲目→馬子→蝦夷→入鹿(滅亡)となりますが、蝦夷(えみし)の名前をどう解釈するかがポイントとなります。蘇我家は馬子・蝦夷の時代が絶頂期と言われますが、おそらく、蘇我氏は、もともとは百済出身であるが、多数派のアイヌ系(蝦夷系)の名前を持つことによって、より支配を広げようとしたのではないかと推察されます。

関連し、継体王を支えた蘇我氏のルーツについて上トップ図に紹介しました。


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Posted byレインボー

Comments 4

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motomasaong
よく勝てましたね。

 文字の文化もない、数字計算も出来ない、被支配民族で搾取されていたアイヌ系が、よく経済的にも軍事的にも恐らくは軍略的にも優位だったツングース系に勝てたものです。
 無論、ツングース系にも文人が大勢いたはずですが、その存在目的はツングース系の独裁維持とアイヌの搾取だったわけであり、アイヌにとってはあたかもイスラムの悪宰相や悪代官、ナチスの政治家のような存在だったのでしょう。
 ツングース系の支配を実質的に支えていたのがこうした文官だったわけですから、御指摘通り、一人残らず諸悪の根源として皆殺しにしたのもうなづけます。
 現在、ロシアはウクライナによるロシア系の虐殺の元凶であるネオナチ政権の抹消を目的としていますが、継体王の時代も現代も、あまりにもひどい悪政を実行する民族があった場合、政治的中枢を根絶やしにしない限り状況の改善が見られないという事があります。悪の根源であったツングース系の政治組織を崩壊させた上で、信頼できる協力者として百済のマレー系文人の協力を要請したというのは、極めて妥当で賢明な政策であり、継体王が単に軍事的に優れていた王であっただけではなく、統治者、政治家としても優秀であったと思われますね。

  • 2022/11/25 (Fri) 18:47
  • REPLY
レインボー
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Re: motomasaong 様、よく勝てましたね。

motomasaong 様
いつも貴重なコメント、ありがとうございます。

ご指摘の「継体王が単に軍事的に優れていた王であっただけではなく、統治者、政治家としても優秀であったと思われますね。」ですが、まったくその通りで、これが継体王の魅力で、強大なツングース系に勝つことができたと思われます。

  • 2022/11/26 (Sat) 09:30
  • REPLY
ichan
こんばんは

コメントを頂き有難うございました。

歴史ものは好きなので、記事を拝見させて頂いています。
諸説ありますが、大変貴重な記事を更新頂き、有難う
こざいます。

  • 2022/11/30 (Wed) 21:08
  • REPLY
レインボー
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Re: ichan さん、感謝

ichan さん
コメント、ありがとうございます。

「歴史ものは好き」とはいい趣味であすね。
草々

  • 2022/12/01 (Thu) 08:00
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