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朝鮮半島由来王家の実在が書かれていない

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レインボー

日本書紀は創作 朝鮮半島由来王家の無視


朝鮮半島由来王家の実在が書かれていない

天皇家はアイヌ系 4.日本書紀は創作、1)朝鮮半島由来王家の実在を無視

冒頭(はじめに)で紹介しましたように、最近のDNA研究(Y染色体ハプログループ分類)の結果、日本人はアイヌ系が35%、マレー系が30%、朝鮮半島由来ツングース系が25%、その他10%の混合混血民族であること、天皇家はアイヌ系であることが明らかになりました。

このことは、日本人は、ほぼ3民族の集合体であることになります。しかし、日本書紀が編纂された奈良時代、万葉集のような歌集を見れば、その時代から日本語の原型はアイヌ語です。万葉集に取り入れられた東北出身の采女の歌も日本語です。東北の蝦夷と言われた人々も同じ日本語を使うアイヌ系民族でした。

おそらく、この時代、アイヌ系言語をベースとした統一言語がほぼ確定し、日本人は、万世一系の天皇家を仰ぐ子孫と言われても多くの民衆は違和感は少なかったものと思われます。

しかし、事実は、天皇家は507年から始まるアイヌ系継体王であり、それ以前は朝鮮半島由来のツングース系王家でした。

前置きが長くなりましたが、関連し、今回は、日本書紀に書かれていない史実の一つ、現天皇家の前に「朝鮮半島由来王家が実在したこと」を検討します。

まず、この朝鮮半島由来のツングース系王家があったという事実は、巨大古墳や埴輪の内容から明らかですが、日本書紀の「万世一系の天皇家」という内容に合いません。このため、現天皇家の前にツングース系王家があったことは書けなかったのが真相と思われます。

この結果、ツングース系王家の遺した巨大古墳は現アイヌ系王家の王陵に改竄されてしまいました。

そこで、日本書紀に戻り、ヤマト(奈良)を支配していた人々について調べますと、Wikipediaによれば、神武東征最後のヤマトの戦いですが、次のとおりです。

甲寅年(紀元前667年)この年、日向国にあった磐余彦尊は、…と言って、東征に出た。・・・
戊午年(紀元前663年)・・・12月4日、長髄彦と遂に決戦となった。連戦するが勝てず、天が曇り、雨氷(ひさめ)が降ってきた。そこへ金色の霊鵄があらわれ、磐余彦尊の弓の先にとまった。するといなびかりのようなかがやきが発し、長髄彦の軍は混乱した。このため、長髄彦の名の由来となった邑の名(長髄)を鵄の邑と改めた。今は鳥見という。長髄彦は磐余彦尊のもとに使いを送り、自分が主君としてつかえる櫛玉饒速日命(物部氏の遠祖)は天神の子で、昔天磐船に乗って天降ったのであり、天神の子が二人もいるのはおかしいから、あなたは偽物だと言った。長髄彦は饒速日命のもっている天神の子のしるしを磐余彦尊に示したが、磐余彦尊もまた自らが天神の子であるしるしを示し、どちらも本物とわかった。しかし、長髄彦はそれでも戦いを止めなかったので、饒速日命は長髄彦を殺し、衆をひきいて帰順した。
(引用終了)

これを解説しますと、次のようです。

紀元前663年12月4日、磐余彦尊(イワレビコ=神武天皇)は長髄彦(ナガスネヒコ=ヤマトの豪族=ヤマトの王?)と戦ったが、和睦しなかったので、後に神武天皇に使える饒速日命(ニギハヤヒ)によって殺された。なお、ナガスネヒコも天神(神の子)の子孫であった。

この記述から、ヤマトを支配していたのは天神の子孫のナガスネヒコであり、神武天皇以前にヤマトを支配していた神がいたことになります。

日本書紀の神を検討しますと、男の神(イザナギ)と女の神(イザナミ)から2系等が生まれています。一つは神武天皇の祖先の天照大神(アマテラス)等、もう一つは出雲の神の大国主(オオクニヌシ、大黒様)等ですが、現世に残ったのは神武天皇の系譜だけです。

すなわち、初めにヤマトを支配していたのは天神の子孫の長髄彦(ナガスネヒコ)であったが、これを打ち破り新たな支配者になったのが磐余彦尊(イワレビコ=神武天皇)という話になります。そこで、長髄彦をツングース系王家としますと歴史的事実と合致しますが、そのようには書いてありません。

関連し、ヤマト最初の王家に関係し日本書紀の問題について、まとめますと次のように理解されます。

天皇家(アイヌ系)は天照大神(アマテラス)の子孫であり、神武東征の結果、天照大神の子孫がヤマト、さらには全国を支配するようになった。そして、天皇家は日本古来のアイヌ系民族であるが、天皇家を偉大に見せるため、天皇家は天照大神の子孫であり万世一系とした。

一方、先にヤマトを支配していた豪族(実はツングース系王家)が居たが、これを王家と認めると、現王家よりも古い王家があったことになり、万世一系という方針に合わないので書けなかった。

なお、同様に関東にもツングース系王家が実在しましたが、同じ理由で書けなかったものと判断されます。

関連し、これらの経過を上トップに示しました。


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Posted byレインボー

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motomasaong
朝鮮半島の記録は?

 中国には魏志倭人伝があり、この貴重な文献により、邪馬台国の存在、金印が証明する倭奴国の存在と朝貢貿易の存在、鏡の分布などの証拠があります。
 もし、中国に継体王以前の日本の支配者について記述が残されていれば、最高の資料になると思いますがその点はいかがでしょうか?
 また、韓国とも日本は関係が深かったですが、同じく、継体王以前の日本の支配体制について何か記録はないのでしょうか?
 これらの資料があれば、文献レベルの証拠としてと思いますが、これまで日本史でも扱われていませんから、残念ながらこの時代の資料は大陸や朝鮮半島にはないのでしょうね。

  • 2022/12/13 (Tue) 17:43
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レインボー
レインボー
Re: motomasaong 様、朝鮮半島の記録は?

motomasaong 様

いつもコメント、ありがとうございます。

継体王以前の日本の王家の記録ですが、中国にあるのは倭国だけです。ツングース系王家は朝貢していなかったと思われます。

また、朝鮮半島の記録ですが、これも倭国だけです。おそらく、ツングース系王家は朝鮮半島と外交があったと思われますが、ツングース系王家がもっとも繁栄していた5世紀前半は、朝鮮半島の諸国は北の高句麗との戦いが忙しく、日本のツングース系王家との外交は記録を残す余裕がなかったものと思われます。

  • 2022/12/14 (Wed) 08:11
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