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邪馬台国と北九州倭国の実在が書かれていない

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倭国と大和朝廷の関係(五世紀)


邪馬台国と北九州倭国の実在が書かれていない

天皇家はアイヌ系4.日本書紀は創作、2)邪馬台国と北九州倭国の実在を無視

現天皇家の前に日本を支配していたのは朝鮮半島由来のツングース系王家だったが、このことは、「天皇家は偉大な万世一系の王家」という日本書紀の執筆方針に合わないので無視されたことを前回に検討しました。

今回は、魏志倭人伝にあります邪馬台国、さらには中国南朝の宋の正史『宋書』にあります倭の五王が書かれてないことについて検討します。

まず、邪馬台国の場所ですが、北九州にあったことは間違いありません。邪馬台国がヤマトにあったという説がありますが、これは妄想です。

魏志倭人伝には、邪馬台国の倭人には分身(入れ墨)の風俗があり倭人は海南島の人々に似ているとありますが、邪馬台国ヤマト説では、このことは説明できないためか無視されています。

日本人はアイヌ系35%、マレー系30%、ツングース系25%、その他10%の混合混血民族ですが、当時こうした分身の風俗があったのは、中国南部から水田稲作を北九州に持ち込んだマレー系の人々以外に考えられません。

しかし、ヤマト説では、この倭人の習俗について無視しています。自説に合わない事実は無視し、都合のいい部分だけを入れて説明するということは学問ではあり得ません。こういう説は一般に妄想と言われます。

そこで、日本書紀では邪馬台国をなぜ無視しているかですが、これは現天皇家以前にあった国です。日本にある王家は天皇家だけという「万世一系」に合いません。北九州にあった邪馬台国を認めると、「天皇家は万世一系」にならなくなり、日本書紀は矛盾することになります。

関連し、卑弥呼は天皇家の子孫に当たる神功皇后という説もありますが、誤りに誤りを重ねる方法でしかないと思われます。現天皇家は継体王(在位:507-531年)に始まるという事実からして、継体王以前の天皇家については明らかに創作です。

次に、中国南朝史にあります倭の五王ですが、これは北九州にあった倭国の王以外にありえません。

倭の五王の最後に当たる倭王武は478年に南朝に上奏文を送り、高句麗から攻められている百済に支援を求めたという有名な話があります。このことは、同じマレー系の北九州倭国と百済の連携を示すものです。

この倭の五王を第17代(備中天皇)~第21代(雄略天皇)を当てる説がありますが、上記「卑弥呼は天皇家の子孫に当たる神功皇后」という説と同じように、過ちに過ちを重ねる説でしか無いと思われます。

例えば、479年に崩御したと推測されている雄略天皇ですが、この時代は、新王家を始めるアイヌ系継体王とツングース系王家が激しい戦いをしていたときであります。ツングース系王家の雄略天皇が南宋に朝貢し百済援助を求める余裕はなかったし、理由もありません。事実、日本書紀にも関連の倭王武のことは書いてありません。

倭の五王はヤマト王家と異なる北九州倭国の王であり、「天皇家は万世一系」という方針に合わないため、邪馬台国と同じように日本書紀では無視されたというのが真相と思われます。

一方、倭王武と北九州倭国の実在ですが、先に述べましたが、繰り返しますと次のとおりです。

まず、一つは、海に面した倭国の都の太宰府建造です。遺跡発掘によれば、その建造時期は5世紀で、日本で初めての条里制に基づいて建造された都で仏教寺院も建造されていました。5世紀は倭王武の時代で、倭国全盛時代であり、そこに都があったこととは歴史的事実とも合致します。

また、北九州の古墳には、ヤマトの古墳と異なり、装飾古墳が多いことが知られております。この装飾古墳のルーツは中国南朝にありますので、中国南朝と北九州倭国の関係があったことは確実です。

また、埼玉の稲荷山古墳鉄剣碑文があります。鉄剣碑文が創られた年代は471年(辛亥年)、そこには「天下の倭国の大王が居た」と書いてあります。また、北九州倭国領域の熊本県の江田船山古墳からも同内容の鉄剣が出土しております。

この5世紀後半の時代、日本には、北九州倭国の倭王武、朝鮮半島由来ツングース系ヤマト王家の王、同じくツングース系王家の関東王家の三王が居ましたが、ヤマトの王は継体王に攻められ滅亡寸前、関東王家はまだ小国です。すなわち、鉄剣に記されている大王は、天下の倭国の大王という意味で、中国の南朝から「征東大将軍」と認められた王は倭王武以外には考えられません。

まとめますと、邪馬台国と倭の五王の倭国は北九州にあったものですが、これは現天皇家と異なる王国であります。このため、これらは、「天皇家は万世一系」という日本書紀の方針に合いません。このため、日本書紀では無視され、言及されなかったと判断されます。

関連し、倭の五王時代の様子を上トップにまとめました。なお、このときヤマト王権は朝鮮半島由来のツングース系王家です。

また、日本書紀と倭の五王関係を下表に示しました。


日本書紀は創作 北九州倭国の無視


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Posted byレインボー

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のんちゃんパパ
日本書紀と古事記が歴史書として不充分だと証明出来ますね。

 おそらく狡猾な天武天皇が、安倍晋三や自民党のように、不都合な事実は隠蔽する、不都合な記録は廃棄する、自分達に都合の良い嘘を捏造して記録するなど、嘘と証拠隠滅、情報操作、情報隠蔽によって日本書紀を編纂させたのは間違いないでしょう。
 ただ、それを証明すること、天武の意図までは証明不可能ですね。
 右翼は必ず、「証拠がない。だからお前の学説は信用ならない」を根拠にして、
「従って日本書紀は信用できる資料だ」という歪んだ論法で日本書紀を擁護します。
 けれども、御指摘の事実の最大のポイントは、
「日本書紀は歴史資料としては、中国大陸の記録にある北九州倭国、入れ墨の風習、邪馬台国の存在などが欠落しており、不充分な資料でしかないと証明される。同時に、国内で発掘された鉄剣も、日本書紀の記述が極めて不完全で欠落が多い事が証明される。
 従って、日本書紀の編集者である天武その他が意図的に情報を隠蔽したかどうかは不明だが、日本書紀が歴史資料としては信憑性と信頼性、情報の完全性と大陸の記録との一致、国内の鉄剣の文章との整合性を欠く、不完全で信用するに足りない資料であると証明される」という点です。
 右翼はインドや中国を尊敬していた聖徳太子実在の証拠がないという理由で、「聖徳太子は存在しなかった」と歪んだ論法で存在を否定していますが、証拠がないなら、
「聖徳太子の実在性は否定できない」というのが科学的態度です。
 右翼の論法によれば、
「日本書紀は正確で十分な資料としての価値がない、そうだとする証拠がないから、歴史資料としては全くの無価値であり、万世一系の天皇という俗説は100%否定される」ことになるでしょう。
 ポイントは、日本書紀が日本の古代史を研究するにはあまりにも不完全で欠落と矛盾が多く、エビデンスとしては無価値である事が証明されたという点ですね。
 狡猾な天武も、まさか自分が把握できない鉄検と文章記録が存在していたという事実はわからなかったのですね。どんなに巧妙に嘘をついても、確かな反証が存在すれば嘘が嘘だとばれるという事です。

  • 2022/12/16 (Fri) 11:09
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レインボー
レインボー
Re: のんちゃんパパ様、日本書紀と古事記が歴史書として不充分だと証明出来ますね。

のんちゃんパパ様
コメント、ありがとうございます。

ご指摘の「どんなに巧妙に嘘をついても、確かな反証が存在すれば嘘が嘘だとばれるという事です」が、そのとおりだと思います。さらに追求していきたいと思っています。

  • 2022/12/17 (Sat) 07:54
  • REPLY