日本文化のルーツは縄文・弥生時代にある.

日本文化のルーツは縄文・弥生時代にある
天皇家はアイヌ系 5.日本文化のルーツは縄文・弥生時代にある(第5章の序文)
これまで、日本人はアイヌ系が35%、マレー系が30%、朝鮮半島由来ツングース系が25%、その他10%の混合混血民族であること、現天皇家は継体王(在位:507-531年)に始まるアイヌ系であることを検討してきました。
そして、これらの民族は、日本語や宗教等の日本文化の形成に大きく関わってきました。関連し、ここ第5章では、日本文化と日本民族の関係について検討します。
おそらく、これらの方面での第一人者は梅原猛と思われます。彼は、日本文化のルーツを調べ、北海道アイヌ古老と話したとき、日本語や日本人の死生観(あの世観)がアイヌと同じことを発見しました。
例えば、アイヌ語では神はカムイ、魂はタマであり、アイヌ語には日本語とまったく同じ単語が使われています。このような精神に関わる単語は外国から導入されたとは考えにくい、すなわち、日本語の自生の基本単語として、もともとあった単語と観ることができます。
また、日本には、死後の世界として「あの世」があると信じられてきました。「あの世」は「この世」とあべこべの世界で、「この世」の夜は「あの世」では昼に当たります。このため、死人を「あの世」に送るための儀式に「通夜(つや)」がありますが、この儀式は「あの世」では明るい昼にあたる夜に行なわねばならない異紹介しました。
小生はいくつかのアジアの国をあるきましたが、このような儀式があるのは日本だけです。おそらく、梅原猛指摘のとおり、これは縄文時代から続いていた葬式で、仏教が入る前の葬式は「つや」だけだったことになります。
これらアイヌと同じ言葉と宗教が現代まで続いていることの理由を検討しますと、日本の支配者(天皇家)が同じアイヌ系だったためと観ると当然のことと思われます。そして、このことは最近の、天皇家はアイヌ系というDNA研究結果により確実になったと思われます。
また、日本の宗教は神社宗教(神道)と言われます。この宗教は多神教であり、アイヌの自然との共生思想と同じであり、神道のルーツもアイヌ系にあることは確実でしょう。
一方、アイヌ系の文化では説明できていない遺跡や文化があります。例えば、稲作、照葉樹林文化、巨石文化、海洋交易ですが、これらの実例は南方に認められます。
南方系の人々として、日本には30%のマレー系の人々がいますが、これらの文化はマレー系の人々がもたらしたものと思われます。
一方、日本は稲作の拡大により発展しました。稲作には陸稲様式と水田様式がありますが、この稲作で生産力が高いのは森から流れてくる養分を含んだ水を利用する水田稲作です。
この水田稲作には、水路や水を貯める畝を作るための鉄器農具が不可欠ですが、この鉄器を導入し稲作を発展させたのは、朝鮮半島由来ツングース系民族です。そして、水田稲作を拡大し、弥生時代と古墳時代の覇者となったのはツングース系民族でした。
本章では、これらの民族との関係から、日本文化のルーツに迫ります。
なお、本章の副題(節)は次のとおりです。
1) 日本語のルーツはアイヌ語
2) 神社信仰のルーツはアイヌの自然信仰
3) 稲と照葉樹林文化はマレー系が持ち込んだ
4) 海洋文化のルーツはマレー系
5) 巨石文化はマレー系が主として作った.
6) 鉄器はツングース系が持ち込んだ
関連し、日本文化と日本三大民族(アイヌ系、マレー系、ツングース系)の関係を上トップ図に示しました。

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