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日本語のルーツはアイヌ語

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レインボー

日本語のルーツはアイヌ語とマレー系発音


日本語のルーツはアイヌ語

天皇家はアイヌ系 5.日本文化のルーツ 1)日本語のルーツはアイヌ語

今回は、日本語のルーツについて検討します。

まず、多くの学者の見解をまとめますと、日本語のルーツはアイヌ語になります。沖縄には琉球諸語がありますが、これらもアイヌ語がルーツとなっています。文法、基本単語を調べていきますと、アイヌ語につきあたるということだと思います。

日本列島には初めにアイヌ系の人々が住み着きました。10万年前の人類遺跡から、アイヌ系の人々は10万年前から日本に住んで居たと推察されております。

一方、大陸(朝鮮半島)からツングース系の人々も縄文時代中期頃から日本に来ていることが分かっています。当初は、彼らは、少しずつ長期に渡って日本に移住してきたため、日本語に与える影響は小さかったと思われます。

偶然にも、ツングース系言語とアイヌ系言語は、動詞が最後に来るという点で文法スタイルが似ており、移住してきたツングース系の人々にとって日本語は受け入れやすかったと思われます。

ツングース語とアイヌ語の文法が何故似ているかですが、次のことが推察されます。

まず、ツングース系民族はモンゴル系と中国系の混合混血です。そして、ツングース語はモンゴル系言語(ウラルアルタイ語系)と分類されています。このことは、ツングース系民族の故郷(中国東北部=満州)には当初モンゴル人が住んでいたが、そこに農耕民の中国人も住むようになり、混合混血し、言葉はモンゴル系、生業は畑作というツングース系民族が発生したものと想像されます。

最近のDNA研究(Y染色体ハプログループ分類)によれば、モンゴル系はC型、アイヌ系はD型で、両者とも古いタイプに属し、両者とも最初にアフリカを出たグループでベースが近い関係にあります。このため、言語文法も似ていたのではないかと想像されます。

彼らツングース系民族は、弥生時代と古墳時代に日本の覇者となりました。このとき、日本列島の平野部はツングース系民族が多数派であり、王家を築き、巨大古墳建造が流行しました。おそらく、これら古墳建造時代はツングー系言語が王家の言葉として使われていたと想像されます。

しかし、それら古墳建造に従事していたアイヌ系が反乱を起こし、その王家はアイヌ系継体王(在位:507-531年)によって滅ぼされました。この結果、新王家となったアイヌ語が日本の主流言語となっていったと判断されます。

なお、大阪弁がありますが、大阪弁は韓国の釜山言語に雰囲気が似ていると言われます。おそらく、大阪は5世紀に巨大古墳が建造され、ツングース系王家の栄えた土地であり、そのような訛りが残り、現在まで続いてきたのではないかと思われます。

なお、ツングース系王家が平野部で栄えていたとき、先住民族のアイヌ系は中山間に住み従来の習慣を保持し水田稲作を徐々に受け入れていった時期と思われます。

続いて日本語の発音のルーツですが、発音はマレー語にたいへん似ています。例えば、小生がマレーシアに居た時のマレー語レッスンに、人はオラン(人=オラン)、米はナシ、魚はイカン、餅菓子はクエ、というのがありました。カタカナがマレー語ですが、そのカタカナ発音がマレー語になります。

そこで、その日本語発音(マレー語発音)のルーツについて考察しますと、同じ発音をもつ万葉仮名がルーツになったことは確かです。万葉仮名を使うようになってから、実際の発音は文字言葉と一致するようになっていったと思われます。

漢字を万葉仮名風に使うという方法は、外国人名や外国地名を表す方法として中国で使われていました。これを、中国と交易していた百済が導入し、続いて日本もこれを導入したことになります。

継体王(在位:507-531年)が最初に外交をおこなった大王、あるいはは最初に文字を導入した大王と言われていますが、それが万葉仮名の始まりだった判断されます。

そして、マレー系は約30%が日本に居ますが、稲作導入との関係で特に多くいたと思われる北九州です。そこには、マレー語に由来する方言が散見されます。例えば、マレー語(日本方言)で示しますと、ソウヤロ(そうやろ)、バッテン(ばってん)、カタル(語る)等です。

また、日本古語にもマレー語の影響が認められます。例えば、マレー語(日本古語)で示しますと、イトオカス(いとおかし)アナオソロ(あな恐ろし)等です。

また、百済を「くだら」と読むことの理由については謎でしたが、マレー語でKudaraは兄弟という意味ですので、おそらく北九州の同じマレー系の人々が百済を兄弟(Kudara)と呼ぶようになったことに由来すると想われます。

以上の事例は、マレー語と日本語の密接な関係、特に、マレー語読みの万葉仮名と日本語の関係を示すものと思われます。

以上のことから、万葉仮名は、百済と北九州倭国で4世紀頃から使われ、続いて、継体王(在位:507-531年)時代の6世紀頃からヤマト政権でも使われるようになったと推察されます。因みに、継体王の時代には、百済から五経博士が来るようになり、大和政権でも初めて文書が作られるようになりましたが、継体王が初めて文字を導入したとも言われています。

関連し、上トップに日本語の形成過程を示しました。

また、百済語(万葉仮名)を導入した古代日本の様子を下図に示しました。


百済語と日本語の関係6世紀


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Posted byレインボー

Comments 3

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motomasaong
言語の分析は興味深いですね。

 インドヨーロッパ語族という言葉があります。同じ由来だそうですが、インド語は日本語に文法が似ており、主語+目的語+動詞+文末の終助詞という構造になっていて、私、ごはんを 食べ ます、と言う語順で、文字は難しいですが大変日本人にはとっつきやすいと思います。
 古代の仏教修行者として有名な役行者は子どもの頃からサンスクリット文字が読めて書けたと伝えられ、法華経を写本するなどしており、中国語もマスターしていました。空海も中国語、サンスクリット語に堪能でした。サンスクリット文字は表音文字ですし、文法は中国語より日本語に近いですから日本人にとっては容易に習得できたのでしょう。
 つまり、同じ語源の言葉だとしても、インド語と英語はほとんど共通性のない言語であり、古代の言葉の由来をたどるには、1.方言を調べる。2.外国由来の言葉を排除し、和語のような固有語で比較する。3.文法構造を調べる。という事だと思います。また、文字はご指摘通り古代の発音を投影していて、例えば「しふ」という言葉は、十を意味しますが、ハングルでは「シプ」という発音であり、それを何とか表記しようと「しふ」になったとされています。

  • 2023/01/20 (Fri) 11:10
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レインボー
レインボー
Re: motomasaong 様、言語の分析は興味深いですね。

motomasaong 様
いつもコメント、ありがとうございます。また、参考にさせていただきます。

  • 2023/01/21 (Sat) 08:15
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  • 2023/01/24 (Tue) 00:39
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