fc2ブログ

神社信仰のルーツはアイヌの自然信仰

2 Comments
レインボー

日本宗教の成立率経過


神社信仰のルーツはアイヌの自然信仰

天皇家はアイヌ系 5.日本文化のルーツ 2)神社信仰のルーツはアイヌの自然信仰

多くの見解をまとめますと、日本人の宗教は、世界3大宗教(1神教)とは別の宗教、自然崇拝を基本とする多神教(原始宗教)に分類されるています。

私ことですが、外国に入ったとき、入国カードに宗教欄があり、Buddhistと書いてきましたが、それは方便でした。私の田舎の実家は曹洞宗の檀家になっておりますが、敬虔な仏教徒ではありません。習慣としての仏教徒であり、仏教を信じているわけではありません。

私、あるいは日本人の多くが怖れているもの、それは、地震、洪水などの自然災害です。また、美しい四季の景色は神様の贈り物と思っています。このため、自然の至るところに神を感じ、美しい山を見ればお祈りし、美しい川を見ればお祈りし、その美しさが永遠であることを願い、山や川を汚すことを嫌います。

その日本人の畏れ(宗教)を如実に表現しているのが家を建てるときの地鎮祭と思われます。神様のお許しを得るという意味で地鎮祭は欠かせません。もし、地鎮祭をしないで建設を進め、事故が起きたら大変です。

このような日本人の宗教観は縄文時代からあると推察されています。それは、縄文時代から生き続けているアイヌの人々の宗教から分かったことです。アイヌの自然との共生思想は有名ですが、同時に、日本人の多くも持っている思想です。

日本には、10万年前から人類が住み着いていたことが遺跡から分かっています。アイヌが日本に住み着き、そのなかで育まれた宗教が自然との共生思想と思われます。その後、1万年前頃、マレー系民族が来ました。そして、ツングース系民族が来ましたが、日本人になるなかで、同じくこの宗教を持つようになったと思われます。

その意味で、日本の宗教は、美しい自然と厳しい自然の中で民族の違いを越えて育まれた独自のものと思われます。

一方、朝鮮半島由来のツングース系王家が支配した古墳時代が来ると、それらの世界観は一時的に変わったと思われます。しかし、再びアイヌ系が支配する時代が継体王(在位:507-531年)から始まり、縄文時代信仰が主流になったと判断されます。

その後、仏教、儒教、キリスト教が入ってきましたが、日本の宗教は10万年という気がとおくなるような時間を経て形成された思想ですので、それらを受け入れても同化はしなかったのが真相と思われます。すなわち、新しい宗教の神は神様の中の一人として受け入れられただけでした。

関連し、日本と同じ多神教宗教について下図にしめしました。

日本と同じような多神教の世界の宗教

一方、こうした日本人の宗教が世界で役立つのかですが、個人的には次のような感じです。

私ことですが、10年以上前になりますが、アフリカの中央にあるベナン(奴隷海岸)で働いたことがあります。そして日本人の自然崇拝の宗教と同じような宗教をもっていたブードウ教徒に出会いました。ブウドウ教は、西アフリカ現地の宗教で、ベナン国の国教になっていました。

彼らは自然の神々を崇拝するブードウ教徒ですが、同時にキリスト教も敬い、あるいはイスラム教も敬い、まさに多神教でした。このような関係は、日本人の宗教、そしてインド発祥のヒンズー教にも認められます。その長所は、宗教で対立することはないという感じでしょうか。

関連し、下の写真はベナン国で買ったブードウ教関係のマスク(お面)です。

ベナンで買ったブウドウ教関連マスク

次に、神社の様式がどのような経過を経て現在のようになったのかについて検討します。

神社の入り口にある鳥居ですが、調べますと、鳥居のルーツは照葉樹林文化地帯にあるという報告があります。

そこで、小生の経験ですが、下の写真は、小生が仏教国ミャンマーの山中で撮ったもので、現地の人に聞いたところ、仏教でなく在来宗教(原始宗教)の神社の入り口だと言われました。この神社の入り口の様子が日本の神社の鳥居に似ており、日本の神社の祖型かと思いました。

ミャンマーの地方の宗教施設

この写真を門のところだけ拡大すると下図のとおりで、鳥居の形と同じです。

鳥居のルーツか(ミャンマーの宗教施設)

ということは、照葉樹林文化地帯に住んで居たマレー系の人々(倭人)が、日本に来て、そこにあった鳥居様式を導入した可能性があります。初めは粗末なもので遺跡には残りませんでしたが、後に立派なものを作るようになったと思われます。

次に、神社内部の建物ですが、これらは仏教建築物とほぼ同じで、これも時代と共に大きくなり、荘厳な建物になっていったと思われます。そして、天皇家の確立した奈良時代以降、関連する神社も荘厳な建物に発展していったものと想われます。

一方、小生はマレーシアに3年住んだことがあります。そのときの映画の一場面ですが、森の中にリスのような精霊が遊んでいる場面が出てきました。マレー系の人々は微笑みながら見ていましたが、おそらくムスリム教が入る前に原始宗教があり、それが映画で表現されていたと思われます。

まとめますと、神社のルーツは、原則としてアイヌ系の自然との共生思想に由来する神々ですが、その成立過程においては、鳥居等は東南アジア由来、また境内は中国の廟様式をまねてできあがってきたものと思われます。

関連し、日本宗教の成立経過を上トップに示しました。


日本史ランキング
レインボー
Posted byレインボー

Comments 2

There are no comments yet.
motomasaong
ネイティブ・アメリカンやエジプト、ギリシャも多神教でした。

 ネイティブ・アメリカンはアジア系で私達の近縁民族であり、日本人そっくりな人々も大勢いますが、まさに自然信仰であり、「大地は神の物」と考え、「自分達の所有物ではない」と考えていましたが、それに付けこまれてイギリスやスペイン、ポルトガルの白人に広大な国土を奪われました。
 エジプトもワニの神、山犬の神アヌビス、ライオンの頭の女神、鷹の神ホルスなどなど、動物の獣性や特性を神として象徴的に崇拝していました。ヒンドゥー教と同じく輪廻転生を知っていました。ただし、イクエンアテンが登場し、獣も大地も植物も、全ては太陽によってエネルギーを与えられ養わせ命を与えられている、それと同じく、太陽のような慈悲と無償の愛こそが最も価値ある尊い神であると気付いて、血なまぐさい権力闘争に歯止めを掛けようとしましたが果たせませんでした。その後、ギリシャが侵略しましたが、ギリシャ人は輪廻転生も愛の神も認めず、エジプトの原始的な信仰は崩壊しました。
 ギリシャは多神教ではありますが、人間の権力者を神と崇拝しており、やっていた事は政治的な権力闘争であり、デマゴーギが詭弁を弄して権力を掌握していました。民主主義と言えば聞こえが良いですが、実態は狡猾で残忍な人間の支配形態でした。これを批判したのがギリシャ系エジプト人であったプラトンであり、彼の名はエジプトの神官に秘儀を受けた時、「バール・アトン=偉大な神」と名付けられ、それがなまって「ブラトン」さらにプラトンと変化したと伝承されています。
 プラトンの思想は、輪廻転生を事実として認める物で、これはエジプトの宗教観やインドの宗教観とも共通しており興味深いと思います。
 こうして見ると、アラビアやインド、エジプトやギリシャなど、文明の発祥地の多くが多神教であった事がわかりますが、それぞれの歴史的展開が著しく異なり、その点での考察が必要だと考えています。
 ただ、もともと同じように森羅万象を神として尊重していたものが、いつのまにか自分達の民族や宗教以外は見下し排除するようになってしまったのが残念です。自然との融和と敬意、畏敬の念を持っていた縄文人のように生きれば、戦争も宗教戦争も起きにくかったと思います。

  • 2023/01/27 (Fri) 12:06
  • REPLY
レインボー
レインボー
Re: motomasaong様、ネイティブ・アメリカンやエジプト、ギリシャも多神教でした。

motomasaong 様
いつもコメント、ありがとうございます。

ご指摘のとおり、古代の宗教はすすべて多神教ですね。日本だけ、それを保持してきたという感じでしょうか。
草々

  • 2023/01/28 (Sat) 08:23
  • REPLY