海洋文化のルーツはマレー系

海洋文化のルーツはマレー系
天皇家はアイヌ系 5.日本文化のルーツ 4)海洋文化のルーツはマレー系
日本語、日本宗教(神社)、稲作のルーツについて検討してきました。
日本語はアイヌ語がルーツであることが明らかです。神社信仰はアイヌの自然との共生思想がベースになり、これに東南アジアから持ち込まれた鳥居、さらには中国様式の境内が導入され、荘厳な神社ができあがりました。また、日本農業(生産力)のベースになった水田稲作は、中国南部に居た稲作民族のマレー系が持ち込み、朝鮮半島由来ツングース系が鉄器を持ち込み普及させました。
これらの他、日本には海洋系の文化が縄文時代遺跡から覗えます。それらは、山内丸山時代の海洋交易、関東地域の巨大な貝塚遺跡等です。
関連し、今回は、これら海洋交易文化がどのように持ち込まれ発展したのか検討します。
結論から入りますと、日本人は、アイヌ系が35%、マレー系が30%、ツングース系が25%、その他10%の混合混血民族であることがDNA研究(Y染色体ハプログループ分類)の結果明らかになっていますが、上記の海洋文化と関連する民族はマレー系以外には考えられません。すなわち、日本の海洋文化のルーツはマレー系民族にあることはほぼ間違いないと判断されます。
マレー系が日本に来た経過については、2回の波がありました。1回目の波は6000年前の縄文時代です。縄文時代人骨調査によれば、マレー系らしい小柄な人骨が多数発見されていますが、これらはマレー系民族の人骨と思われます。
これらの流れの中で、マレー系は海洋交易の遺跡を至る所に残しました。三内丸山遺跡と関連し、網走の黒曜石や富山の宝石(翡翠)の分布はそれらを物語っています。また、関東の居住地からは多数の貝塚が残されていますが、これらも海洋系マレーの生活跡と想われます。
極めつけは、岡山市の彦崎貝塚です。ここからは貝塚の他に6000年前の地層から稲プラント・オパールも発見されています。この時期の稲は陸稲ですが、稲を持ち込んだのはマレー系以外には考えられないことから推察しますと、マレー系が貝塚と併せて残した稲遺跡と思われます。
マレー系、第二の流れは弥生時代の稲作導入時期です。このことは前回紹介した通りです。
これらの様子を上トップ図に示しました。
以上のことから、マレー系の日本渡来については、縄文時代と弥生時代の2回に分かれますが、DNA研究(Y染色体ハプログループ分類)の結果、それぞれDNAの違いが明らかになっています。
日本と朝鮮半島には、約30%のマレー系がいますが、縄文時代マレー系(マレー系A)は日本に20%と多く(韓国で10%)、一方、弥生時代マレー系(マレー系B)は日本で10%と少ない(韓国で20%)状況です。
次に、日本に古来より居る海の民と言われる海族や隼人族ですが、以上の経過からして、そのルーツは縄文時代のマレー系と結論されます。彼らは、縄文時代、海岸に居を構え、貝を主食としの日本の海を自由に航海し、交易したのではないかと想われます。
その関係から想像しますと、古墳時代末期、アイヌ系継体王(在位:507-531年)が現れ、巨大古墳を建造したツングース系王家を滅ぼしましたが、海洋系マレーは同じ縄文時代からの仲間のアイヌ系に協力して新時代王家の仲間入りをしたのではないかと思われます。
その1人が大化の改新(乙巳の変 645年)で有名になった中臣鎌足です。彼は、継体王が王家を開いたとき、海洋系の代表として新政権の有力者(豪族)の1人となり、歴史に名を残すようになったと想われます。なお、中臣鎌足が縄文時代からのマレー系であることはDNA研究から分かったことです。
さらには、海の神を祭っている宗像大社があります。Wikipediaによれば宗像大社は次のとおりです。
宗像大社(むなかたたいしゃ)は福岡県宗像市に在る神社。式内社(名神大社)、八神郡の一つ。旧社格は官幣大社で、現在は神社本庁の別表神社。日本各地に七千余ある宗像神社、厳島神社、および宗像三女神を祀る神社の総本社であり、『日本書紀』では、一書に曰くとして「道主貴」と称される。玄界灘に浮かぶ沖ノ島を神域とし、沖ノ島で出土した古代祭祀の奉献品の多くは国宝に指定されている。裏伊勢とも称される。(引用終了)
すなわち、宗像大社は海族を守ってきた巨大な神社であり、沖ノ島という神域まであり、アイヌ系の現王家を海から支えてきた神社と理解されます。
一方、日本以外のマレー系ですが、彼らがアフリカのマダガスカル移住したことは有名です。彼らは1世紀頃からマダガスカルに居たこと、バナナや稲作をアフリカに導入したこと、マダガスカルの多数派民族になったことが知られています。
どのように、彼らはマダガスカルに移住したかについての詳細は分かっていませんが、遺跡調査によれば、彼らは、まず対岸の東アフリカ(タンザニア)に居住し、その後、マダガスカルの北部海岸に移住し、1年中温暖な山間部に移住したことが分かっています。
このマレー系のマダガスカル移住については下図に示しました。

一方、日本とアメリカ大陸先住民族の関係もあります。5000年前の縄文土器がペルーで発見されたのは有名な話です。これが、日本に居た海洋系マレーが持ち込んだのかは興味あるところです。
また、関連し、日本人がアメリカ大陸に移住したことについては多くの日本人研究者が指摘しています。
最近の研究によれば、現在の北米インデアンは1~5世紀頃に移住したトルコ系民族(Y染色体ハプログループQ等)であることが分かっています。しかし、中南米の民族のY染色体ハプログループ分類については報告がありません。
この様子を、想像ですが下図に示しました。

下の写真(2枚)は著者がマダガスカルの先住民族の人たちを写したものです。アフリカ人に混じってマレー系の老婦人が見えますが、彼女はインカ先住民族に似ている感じがしています。


関連し、Web検索情報ですが、古代インカの人々のDNAについては、ミトコンドリアDNA情報はありますが、Y染色体ハプログループについては、報告を見ることはできません。
Y染色体ハプログループが分かれば、古代インカ人のルーツは分かりますが、まだ関連の報告を見ることができないのは不思議です。何か大きな力が陰で動いている感じがします。
背景に、日本人が中南米に移住し、インか文明等を残したことを認めたくない勢力があるものと想われます。

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