巨石文化のルーツもマレー系

巨石文化のルーツもマレー系
天皇家はアイヌ系 5.日本文化のルーツ 5)巨石文化のルーツもマレー系
日本文化について検討し、言葉はアイヌ系、神社宗教はアイヌ系、水田稲作のルーツは中国南部のマレー系、海洋交易や貝塚文化は縄文時代に渡来したマレー系にルーツがあることについて紹介してきました。
一方、以上の文化の他に、巨石文化が日本にあることが分かっています。この方面はブログ「神秘と感動の絶景を探し歩いて」に詳しく紹介されており、そのルーツの一つにインドネシアがあることを紹介しております。例えば「ここが日本かと驚く異様な信仰文化とは?」です。
しかし、それら巨石文化は多様であり、未だにそれらのルーツや巨石の意味については一部についてしか明らかになっていません。今回は、上記ブログ「神秘と感動の絶景を探し歩いて」とダブらないように、この巨石文化のルーツについて検討します。
まず、日本人はアイヌ系が35%、マレー系が30%、ツングース系が25%、パプア系が5%、その他5%の混合混血民族です。
関連し、これら日本人と巨石の関係について調べますと、次のとおりです。
まず、注目されるのは、インドネシアの「世界最古のピラミッドはインドネシアに存在する!? 物議を醸す大論争が再燃」です。紹介のピラミッドは3万年前のもので、世界最古と言われております。このためか、否定する学者もおり、論争中のようです。
ここに住んでいた人達は当然のことながらマレー系の人々です。最近の氷河時代は約1万年前に終わったといわれますが、その氷河時代、インドネシア辺りにあった地域はスンダランドと言われ、雨は多く温暖、人類が住むのには最適な環境だったと言われます。
一方、人類は、アフリカで30万年に発生し、その一部の人たちはインドを経由し、スンダランドにも移住していたと思われます。その移住時期は明確でありませんが、その良好な環境のもと、3万年前に最古のピラミッドを作ったとしてもおかしなことではありません。
そして、そのピラミッドを建造した民族は、そこがルーツのマレー系であった可能性は高くなります。
一方、近隣のセレベス島にはバウリンドというモアイ像そっくりの巨石像が残されています。詳しくは「バウリンド像」を参照願います。
一方、「モアイ像」を建造した人たちはパプア系の人たちですが、同じようなバウリンド像を残した民族ともパプア系とも想われています。パプア系は日本にも5%ほど居ることが分かっています。
以上の情報から推察しますと、スンダランドにはマレー系の他パプア系も居て、パプア系の人々はスラウエシ島でバウリンド像を残し、イースター島でモアイ像を残したと思われます。
しかし、日本居る5%ほどのパプア系については、巨石文化との関係については、まったく知られておりません。これらの関係を上トップ図に示しました。
おそらく、パプア系もいろいろとあり、日本のパプア系は「モアイ像」や「ウリンド像」を残したグループと異なるのでしょう。
一方、巨石と関連し、弥生時代最大の円墳として岡山県の「楯築遺跡(たてつきいせき)」が知られております。この円墳の頂上には巨石が立てられていて、マレー系の人々が建造した可能性があります。その理由は次のとおりです。
弥生時代の遺跡は、高生産性の水田稲作の普及と一致します。マレー系が北九州に水田稲作をもたらし、それを朝鮮半島由来のツングース系が持参した鉄器を使い普及させました。
楯築遺跡があるところは、周辺に彦崎貝塚があり、そこからイネのプラント・オパールが発見され、陸稲稲作が行われていたことが分かっています。また、貝塚も残されており、これらの遺跡を残したのは縄文時代に住んでいたマレー系以外には考えられません。
弥生時代に入り、北九州に渡来したマレー系の人々が岡山に移住してきました。彼らは、縄文人のマレー系と弥生人のマレー系として感動的な出会いをしたと想像されます。また、塩田跡も残されており、彼らは水田稲作だけでなく塩の交易でも豊かになっていったと推察されます。
一方、ツングース系民族ですが、彼らの3世紀頃の拠点は出雲であったことは先に述べました。この時代、日本海側にツングース系の拠点の出雲、瀬戸内海側にマレー系の拠点(吉備)があったことになります。
しかし、4世紀になると、前方後円墳を建造したツングース系の時代となり、楯築遺跡辺りの吉備地域はツングース系の支配地となりました。マレー系は拠点を失い、海洋系として瀬戸内海のあちらこちらに住むようになったと想われます。これが瀬戸内海族の始まりと思われます。
まとめますと、日本文化のルーツのうち巨石文化と関係しているのはマレー系とパプア系と思われます。なかでもマレー系は楯築遺跡など巨石を伴った弥生遺跡を残しました。一方、パプア系はセレベス島のタマリンド像や遠くイースター島でモアイ像を残しましたが、日本での遺跡は発見されていません。
また、自然の巨石信仰も含めて検討しますと、日本には多くの巨石信仰や神社が散見されます。これら巨石信仰についてのルーツがアイヌの自然信仰に由来しているのか、あるいはマレー系やパプア系が関係しているのか、まだ明確な結論は出ておりません。
なお、東北の中山間地にあるストーンサークルはアイヌ系の遺跡と思われます。
一方、下の写真は、マダガスカルに移住したマレー系の残した石像です。これもマレー系の石像文化の一つと思われます。


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