邪馬台国の真相 3.卑弥呼はツングース系女性シャーマン

邪馬台国の真相 3.卑弥呼はツングース系女性シャーマン
前回、北九州邪馬台国においては、朝鮮半島由来の高身長ツングース系が支配していたと推論しました。関連し、ここでは、女王となった卑弥呼もツングース系であったことについて検討します。
魏志倭人伝に「卑弥呼は鬼道に通じ人を惑わす」とあります。これは、卑弥呼が女性シャーマン(祈祷師)であり、その才能があり、女王として祭りあげられたのだと思います。
「韓国文化のシャーマニズムパワー」という韓国人の記事に、「心配事があると母が女性祈祷師のところに頻繁に相談に行っていたこと」が紹介されていました。
日本人の私の母も、心配事があると頻繁に神様(女性祈祷師)に相談に行っていたことがあり、韓国とまったく同じ感じでした。私の母によると、心配事に対する回答はよく当たり、信頼できる神様だったようです。
例えば、私ことですが、私の大学入試で心配していた母が神様に相談したことがあります。「心配しなくてもよい、水打ちを毎日し、祈っていれば良い」と言われ、冬の寒い中に水打ちしたようです。そして、私は大学に合格し、喜んだ母はお礼に私を神様のところに連れていきました。
もう55年前のことですが、その神様は、色白で、眼は細く吊り上っていて、かつ一重まぶたで、キツネ顔の容貌で、今思うとツングース系の神がかった容貌でした。
素人ながらシャーマンについて考えますと、アイヌにもシャーマンは居ますが、ほとんどが男性です。その影響なのか、日本のシャーマン(神主)は男です。
また、世界を眺めますと、女性シャーマンはいろいろと知られておりますが、ヨーロッパの魔女の場合、魔術を使うとか言われ、社会から認められておりません。また、アフリカにもシャーマンがいますが、ほとんどは男性です。それらの人々は、地域の人から信頼されている韓国や日本の女性シャーマンとは違う感じがします。
そこで、日本の女性シャーマンのルーツについて検討しますと、ツングース系の韓国では古くからの土着宗教として女性シャーマンが上記のように知られております。おそらく、そのツングース系の女性シャーマン信仰が日本にもたらされ日本に広がったのではないかと思います。
また、ツングース系民族のルーツはモンゴル系と中国系の混血ですが、モンゴルにも多数の女性シャーマンが居ることが知られております。ということは、韓国の女性シャーマンのルーツはモンゴルにある可能性があります。
低身長で色黒のマレー系の人達が多かった倭国において、長身色白の卑弥呼は目立った存在、憧れの存在であったような感じがします。そして、マレー系の倭人にはない鬼道に通じており、多数の国をまとめるカリスマ性があったのではないかと想像できます。
なお、卑弥呼の鬼道について、呪術を用いることもある中国の道教と同じという説もありますが、卑弥呼が居た3世紀には道教は日本に入ってきた様子はなかったことから推察しますと、卑弥呼の鬼道はツングース由来と思われます。
また、ブードウ教の聖地ベナン国(アフリカ、もと奴隷海岸)での経験ですが、シャーマンの力がすごい例がありました。その国の地方で活動していた女性海外協力隊の話ですが、次のようです。
現地には祈祷師(呪術師)が居て、一般の人達の相談にのってくれます。例えば、「自分の夫の帰りが遅い、浮気でもしているのではないか、祈祷で改善してくれないか」、とお願いすると、祈祷師は要望が叶えるよう祈祷します。すると、夫がいつもより早く帰ってくるではないですか。「どうしたの」と夫に尋ねると、「なんか、急に帰りたくなった」、ということだそうです(ホントかい?)。このような話が延々と続くわけですが、当然のことながら、願いをかなえてくれる祈祷師の人気は高まっていくようです。
このように、アフリカでは、呪術師(祈祷師)の存在は、民衆のなかに深く溶け込んでいるものと思われます。関連し、歴史書によりますと、アフリカ人は、19世紀前後、ヨーロッパの残酷極まる植民地化に抵抗しましたが、ヨーロッパ人が恐れた抵抗に「呪術師の反乱」がありました。
「神が白人の銃弾を無害な水に変えてくれるので死を恐れずに戦え」(ジンバブエ・チムレンガの反乱)、「この薬用の水を飲めば銃弾にあたっても死ぬことはない」(タンザニア・マジマジの反乱)、と呪術師が神の言葉を告げ、その神の言葉を信じた民衆がヨーロッパ軍と死を恐れず激しく戦ったとあります。当然のことながらアフリカ人の犠牲は多数でした。
なお、下の写真はアフリカで著者が買ったお面です。何か神秘的な力を感じます。

まとめますと、以上のように原始社会において祈祷師は大きな力がありました。卑弥呼は北方系の女性祈祷師で、そのカリスマ性によって民族対立のあった倭国を統合することができたのではないかと想われます。
なお、拙ブログで何度も述べていますが、ヤマトは初めにツングース系王家でしたが、継体王(在位:507-531年)からアイヌ系王家に代わりました。そのときからツングース系女性シャーマンは中央から消え、地方だけに存在するようになったと思われます。関連し、東北のイタコは女性シャーマンとして有名です。
関連し、女性シャーマンのルーツを上トップ図に示しました。

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