fc2ブログ

邪馬台国の真相、4.邪馬台国の読み方

4 Comments
レインボー

邪馬台国時代の漢字は北方読み


邪馬台国の真相、4.邪馬台国の読み方

邪馬台国前の時代に、漢より金印を授受した奴国があります。この金印の読み方は漢委奴国王印(かんのわのなのこくおういん)と一般に言われておりますが、委奴(わのな)でなく、匈奴(きょうど)と同じように委奴国(わど)と読むのが正しいという説があり、たいへん説得力があります。

関連し、今回は、魏志倭人伝にあります邪馬台国、狗奴国、百済の読み方と意味について検討します。

まず、漢字の読み方に、大きく分けると北方読みと南方読みの2種類があることが知られています。例えば、イ、リャン、サン、スウは北方読みで、イ、ジー、サン、シは南方読みです。

朝鮮半島に4世紀頃から始まった百済は、マレー系の稲作民族の国であったことから南宋等の南方国家と縁があり、仏教経典方も南方読みを導入しました。日本は、継体王(在位:507-531年)から百済と国際交流し、百済から仏教経典を導入しましたが、以上の関係から日本も南方読みとなりました。

一方、漢、そしてその後に生まれた魏は北方国で、漢字の読み方は北方読みでした。卑弥呼が朝貢した相手は魏ですので、その頃の国名や地名は北方読みが正しくなります。すなわち、委奴は委奴(わど)が正しいことになります。

次に、邪馬台国をどう読むかですが、原文では邪馬壱国(やまいちこく)と表記されることが明らかになっています。そこで、邪馬壱を北方読みにしますと、邪馬壱(やばい、じゃばい)となります。

そして、邪馬壱(やばい、じゃばい)の意味ですが、前前回に紹介しましたように、北九州倭国の地域はマレー系の人が多く、マレー語が使われていたことが想像されます。そこで、邪馬壱(やばい)の意味をマレー語で検討しますと、「やば、じゃば」は「Jawah(雨)」となりますので、雨のある一番の国になります。マレー系は稲作民族ですので、雨の国というのは稲作に適した土地の意味がある感じもします。

次に邪馬壱(やばい)の「壱」の意味ですが、魏志倭人伝によれば、倭国には邪馬壱国と別に邪馬国があり、その区別は壱があるかないかであり、邪馬壱は、邪馬+壱と二つのことばの合成語と観ることができます。すなわち、邪馬一国は耶馬(雨)の多い1番の国と理解されされます。

なお、インドネシアに有名なジャワ島がありますが、ここも雨が多く稲作の盛んなところですが、もしかすると、彼らが、その地方の出身者なのかもしれません。そうなると、拙ブログ指摘のとおり彼らはマレー系民族であることになります。

次に、狗奴国の読み方と意味について検討します。魏志倭人伝には邪馬台国連合(女王国連合)に対立している南方の国として狗奴国が紹介されています。

狗奴国を北方読みしますとコウド国またはコド国になります。マレー語のコド(Kodoh)の意味は、英語でバカ(Foolish)で、バカ国、すなわち蔑称になります。

おそらく、女王国に属さない国はバカな国という意味で使った可能性があります。当時、倭国は大乱があり、激しい戦闘があったことが遺跡でも確認されています。そして、倭国の大乱は女王卑弥呼を立てて収まったようですが、それでも女王国に属さない国は、まだ戦いを止めないバカな国という意味があるのかと思います。

なお、関連し、百済について、なぜ「くだら」と日本では読むのか謎につつまれていました。しかし、これもマレー語由来とすると、解決します。

百済の意味は、『三国史記』「百済本紀」によれば“多くの人に国造りを済けられた”、すなわち、多くの人(百人)が建国した国の意味のようです。韓国では漢字のとおり「ペクチェ(ひゃくさい)」と読んでいます。

しかし、日本では百済を「くだら」と読み、「ひゃくさい」とは読みません。この謎について、いくつかの仮説がありますが、まだ、すっきりとした説明は得られておりませんでした。

そこで、「くだら」を現代マレー語辞典で調べるとどうなるのか調べてみました。すると、Kudara(クダラ)=Brother(兄弟)、という言葉に翻訳されて出てきました。

ということは、百済は兄弟の国であったことになります。そこで、日本人は、なぜ百済を兄弟と読んだのか、次のことが考えられます。

倭国は、百済国の人々を同じマレー系の兄弟民族として「クダラ」(兄弟)と読んでいたと理解されます。すなわち、百済建国後、表記は百済でも倭国の人々の呼び方は「クダラ」のまま変わらなかった、ということになります。

そして、その「クダラ」という呼称は、倭国からヤマト朝廷に引き継がれ、現在に至ったと思われます。

まとめますと、邪馬台国は原文では邪馬壱国だったが、壹(壱)と臺(台)は似た漢字なので、まちがって邪馬台国と読んでしまったことに始まるようです。そして、邪馬台国は発音がヤマトに似ていることから邪馬台国ヤマト説が研究されるようになったようです。

しかし、原文を当時の北方読みしますと、邪馬壱は「やばい、または、じゃわい」になります。その言葉の由来は、北九州倭国に多数居たマレー系民族の言葉とすると、jawah1になり、ジャワ1(雨、インドネシア)に由来すると推察されます。

関連し、上トップ図に、漢字の読み方、マレー語の関係を示しました。



日本史ランキング
レインボー
Posted byレインボー

Comments 4

There are no comments yet.
motomasaong
邪馬台国とヤマト朝廷

 邪馬台国が「やまたいこく」であれば、「やまと」とは音の類似性がありますが、邪馬台国が実は邪馬壱国であり、「やばい」あるいは「じゃわばい」、「やばいち」「じゃばいち」だとすれば、「やまと」とは音声においてもほとんど何の関係もない事になります。
 時代の変遷によって漢字の発音は変化していますから、提示された学説は非常に歴史的に整合性の高い学説だと考えられます。

  • 2023/04/14 (Fri) 14:20
  • REPLY
レインボー
レインボー
Re: motomasaong様、邪馬台国とヤマト朝廷

motomasaong様
いつもコメント、ありがとうございます。

ご指摘の「「やばいち」「じゃばいち」だとすれば、「やまと」とは音声においてもほとんど何の関係もない事になります」ですが、まったくその通りだと思われます。

邪馬台国がヤマトにあったという説はありえません。

  • 2023/04/15 (Sat) 07:04
  • REPLY
雨宮清子(ちから姫)

コメント、ありがとうございました。
日本語にはマレー語がかなり入っていると以前、本で読んだことがあります。

私が住んでいる静岡市の清水区から船団を組んで、白村江の戦いに朝鮮半島まで出かけた豪族がいて大きな古墳を残しております。これなどは朝鮮との結びつきを強く感じます。

旧石器後期や縄文時代の遺跡は箱根や富士山周辺の台地上でみつかります。あとは山梨、長野の県境の南アルプス直下の山村です。縄文と平安の2回、大きな海進があって思わぬ奥地に貝殻が見つかりますので、当時は今ほど山奥ではなかったのかなと思ったりしております。

今読んでいる考古学者の本に、アイヌの影響が強かった東北とその他の地域では、縄文の墓の作り方が違うと書かれています。墓の作り方から人の流れがわかるというのも、また新鮮だなと思いました。日本列島には様々な国から人がやってきたのなら、言葉や風習など母国のものを踏襲して、それが墓などに現れていると思うのは自然だと気づかされました。

  • 2023/04/15 (Sat) 08:10
  • REPLY
レインボー
レインボー
Re: ちから姫 様

ちから姫 様
コメント、ありがとうございます。

日本の古代史は、様々な情報が飛び交い、わかりにくいところがあります。
物的情報を基に、拙ブログでは真相に迫りたいと思っています。
草々

  • 2023/04/15 (Sat) 08:56
  • REPLY