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蘇我家の繁栄と滅亡 1.蘇我氏のルーツは百済

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蘇我氏のルーツは百済

蘇我家の繁栄と滅亡 1.蘇我氏のルーツは百済

 蘇我氏のルーツについては、百済由来説が出ておりますが、Wikipediaによれば、 この説は否定されています。 

 しかし、現天皇家のルーツはアイヌ系の継体天皇(在位:507-531年)であることが分かりました。継体天皇は、巨大古墳建造で民衆を苦しめたツングース系王家を滅ぼし、新たにアイヌ系王家を開始しました。そして、蘇我家は、その新政権で財務を担当した新豪族であったことから見ると、従来の見方は変わってくるのではないかと思われます。 

 関連し、今回は、蘇我家のルーツについて検討します。 

 まず、「蘇我氏渡来人説とその否定」についてですが、Wikipedia(蘇我氏 出自)によれば、次のとおりです。 

 『古事記』や『日本書紀』では、神功皇后の三韓征伐などで活躍した武内宿禰を祖としている。具体的な活動が記述されるのは6世紀中頃の蘇我稲目からで、それ以前に関してはよく分かっていないが、河内の石川(現在の大阪府の石川流域、詳細に南河内郡河南町一須賀あたりと特定される説もある)および葛城県(後の大和国高市郡)蘇我里(現在の奈良県橿原市曽我町あたり)を本拠としていた土着豪族であったとされる。(引用終了)

 このWikipedia記事をまとめますと、蘇我氏は土着豪族のようですが、最近明らかになった「継体天皇はアイヌ系新王朝の始祖」や「蘇我氏はそのアイヌ系新王朝の財務大臣」という情報が抜けております。 

 そこで、継体天皇が507年にアイヌ系新王朝を開始し、同時に百済と外交したという情報を中心に、蘇我家渡来人説を再検討しますと、つぎのようになります。 

 まず、継体天皇を支えた豪族として、物部家や大友家が知られております。彼らは軍事面を担当し、大連(おおむらじ)という役職を得ています。彼らは、ツングース系王家との戦いで軍部の面で戦果をあげたアイヌ系豪族だったのではないでしょうか。 

 一方、蘇我家は財務を担当し、唯一の大臣職と言われております。当然のことながら、財務には文書能力が必要です。そのような新王家を支える文官人材は、おそらく、ツングース系前王家に支配されていたアイヌ系豪族にはまったく居なかったことが推察されます。 

 また、その直前にあったツングース系王家の文官ですが、多数の巨大な古墳を建造したツングース系王家に関わっていたため、彼らに対する民衆の怒りは大きく、虐殺されたか逃げ隠れたと想像されます。 

 こうしたなか、継体天皇は百済の武寧王と天皇即位前から関係があったことが知られております。例えば、継体天皇に即位したのは607年ですが、即位前の603年に武寧王が即位祝いの鏡を送っていたことが百済紀に書かれています。また、その鏡が日本で発見され、その鏡には、継体天皇は男弟王と呼ばれております。 

 関連し、下の書籍は、武寧王と継体天皇の関係に詳しい「百済部寧王の世界、海洋大国 大百済」(ソ・チンチョル 2007)です。 


海洋大国大百済(書籍) 


以上の継体天皇と武寧王の関係から想像しますと、当時、百済は朝鮮半島南部で最も文化的であったことが知られておりますが、蘇我氏はその百済で文官職にあり、武寧王の推薦があり、財務担当者として日本へ来たのではないでしょうか。 

 以上の経過から、蘇我氏は、始まったばかりのアイヌ系王朝の財務大臣という職を得て、新王朝の政治を補佐したと理解するのが妥当と思われます。アイヌ系の継体王朝は始まったばかりで、その財務大臣に異を唱えるアイヌ系豪族はなく、蘇我はその地位を生かして勢力を伸ばしたものと思われます。 

 また、蘇我家の最初の人物は蘇我高麗(そがこま)ですが、その名前も百済出身の感じがします。例えば、百済のルーツは南中国の越国(マレー系稲作民族)ですが、「ソガ」に近いマレー言葉に「サガ」(美しいもの、英雄)があります。また名前の「コマ」は後の朝鮮半島の高麗国と同じで、外国風です。 

 蘇我家は、高麗→稲目→馬子→蝦夷→入鹿(滅亡)となりますが、蝦夷(えみし)の名前をどう解釈するかがポイントとなります。蘇我家は馬子・蝦夷の時代が絶頂期と言われますが、おそらく、蘇我氏は、もともとは百済出身であるが、アイヌ系(蝦夷系)の名前を持つことによって、より支配をアイヌ系のなかにも広げようとしたのではないかと推察されます。

 まとめますと、アイヌ系新王家を支えたアイヌ系豪族に財務を担当できる者は居なかったこと、継体天皇は即位前から百済と交流があったこと、その後、百済から文字や仏教を導入したことから推察しますと、蘇我家のルーツは百済という観方は妥当と思われます。 

 関連し、上トップ図に蘇我家のルーツについて示しました。

 
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