蘇我家の繁栄と滅亡 3.蘇我は文字を導入
蘇我の活躍については、日本書紀(720年成立)に詳しくありません。その背景には、日本書紀は万世一系の偉大な天皇家を主題にしており、蘇我は天皇を凌ぐ権力者だったこともあり主題に反していること、すでに百済は滅びており唐との外交関係から百済には関係したくなかったことがあると思われます。
しかし、蘇我は、アイヌ系新王朝に関し、その近代化に汗を流したことは確実です。その流れのなかで文字の導入がなされたものと想われます。
国家の運営に文字が必要なことは言うまでもありません。国造の任命、物品や労役の記録等、文字の使用は欠かせません。 その意味で、継体天皇(在位:507-531年)以前のツングース系王家にも文書があったことは確実です。
ヤマトのツングース系王家は始まりが3世紀後半の巨大前方後円墳「箸墓古墳(はしはかこふん)」とすれば、そのときのツングース系民族の大国の高句麗が朝鮮半島にありましたので、その高句麗文字が使われたものと想像できます。
高句麗文字については、「好太王 (広開土王)碑文」(414年建造)が有名ですが、それと同種の文字が使われたものと思われます。碑文は漢語を母国語とする者の漢文ではなく、朝鮮語を母国語とする者の漢文と言われております。
しかし、ツングース系王家は、継体天皇によって滅ぼされ、そのとき激しい破壊が行われ、文書は消えてしまったのが真相と思われます。
そこで、継体天皇時代に使われたのが、百済から導入された万葉文字(漢字)と思われます。その後、その読み方は、万葉仮名となり、読み方は「ひらがな」や「カタカナ」に発展しました。 その万葉仮名の読み方から推定しますと、そのルーツは百済で使用された南方読みの漢字と推察されます。
そこで、万葉文字導入について検討しますと次のようであったと想像されます。
まず、継体天皇時代に最初に文字を使ったのは財務大臣だった蘇我でしたが、その後、文字導入に当たっては五経博士がその任務に当たったと想われます。 五経博士については、Wikipediaによれば、「『日本書紀』には513年(継体天皇7)百済は五経博士段楊爾(だんように)を貢したが」とありますので、513年が始まりとなります。
おそらく、継体天皇配下の豪族は、五経博士の指導の下、文字を使い始めたと思われます。
関連し、百済の住民は、南方由来マレー系民族でしたので、百済語は歴史的に中国南朝と関わりが深いことが知られています。そして、漢字の読み方には南方読みと北方読みがありますが、このとき、百済で使われたのが以上の経過から南方読みの漢字でした。
そして、日本には、その南方由来の読み方が伝わったことになります。例えば、一、二、三、四、五は、南方読み(例えば福建語)でイー、ジー、サン、シ、ゴと読みます。一方、北方読みではイー、リャン、サン、スー、ウと読みます。 そして、文字として漢字の使い方は万葉文字として使われたのは周知の事実です。
また、その万葉文字の読み方(発音)もマレー語と同じです。 私は仕事の関係からマレーシアで3年生活しましたが、その言葉の発音が日本語に似ていることに驚きました。例えば、マレー語レッスンでよく使われる言葉ですが、次のような感じです。
人はオラン、米はナシ、魚はイカン、餅菓子はクエ、名前はナマ。
これらのカタカナ言葉がマレー語で、その発音で100%通じたのには驚きました。お店で、ナシ(米)、イカン(魚)、クエ(餅菓子)と言えば、通じました。
カタカナのルーツは万葉仮名(漢字)ですが、発音はマレー語そのものと思われます。そこで、どのように万葉仮名が発生したか想像しますと、次のことが考えられます。
おそらく、百済はマレー系民族主体ですが、彼らにとって中国語は語順が同じで日本語より近い言語で、漢字に対する発音理解も早かったと思われます。そして、中国語では他国の地名などを万葉仮名風に表すことが知られておりますが、それを見て、同じようにマレー系言語表記に漢字を使うことを考えたと推察されます。
そして、日本は、五経博士を通じて、それら万葉文字を導入したことになります。 一方、日本語はアイヌ系言語がベースとなっていますが、万葉仮名を使ううちに、発音は万葉仮名風(マレー系言語風)になり、アイヌ系言語の発音様式は消えてしまったと推察されます。
また、百済語が日本語になった例も知られています。それは下表のとおりで、ワッショイ、さらば等がそれらです。
まとめますと、以上の経過から、文字(漢字:実は百済語)の導入にかかわったのが、蘇我、そして五経博士と結論されます。
また、その後、日本では仏教の導入が始まりますが、これも蘇我が関わっていたと想われます。いわゆる、仏教導入に当たっては蘇我と物部の対立が知られておりますが、蘇我が積極的に賛成したのは、日本の近代化を目指していた以上の経過から当然のことだったと思われます。 これらの関係を上トップ図に示しました。
なお、これら日本語とマレー語の関係について詳しく知りたい方は、拙ブログのカテゴリから「日本語のルーツ」をクリックしますと、関連の記事を見ることができます。