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蘇我家の繁栄と滅亡 4.蘇我は仏教を導入

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レインボー

粱と百済と日本と仏教

蘇我家の繁栄と滅亡 4.蘇我は仏教を導入

前回、蘇我は、日本に帰化し、財務大臣となり、五経博士を百済から派遣し、アイヌ系新王朝の継体天皇(在位:507-531年)を補佐し、日本の近代化に汗を流したことを紹介しました。

今回は仏教導入について検討します。

まず、伝来時期ですが、Wikipedia記事によれば、はっきりした時事は不明ですが、百済と日本の関係の公式な年は538年または552年のようです。

一方、継体天皇(在位:507-531年)以前から導入されていた可能性も否定できません。例えば、北九州倭国です。北九州倭国については実在したことについて論争がありますが、こちらの方は、ヤマト朝廷と異なり、百済と同盟国の関係にあり、遺跡発掘によれば、我が国最初の条里制の都と言われる太宰府には仏教寺院が建立されていたという報告もあります。

継体天皇(在位:507-531年)が新王朝を開いたのは6世紀初頭ですが、その頃は朝鮮半島南部で仏教文化が百済を中心に開花していたときでした。百済の東側にあります新羅に仏教文化を伝えたのも百済と言われます。

以上の経過から、仏教が美しい仏像と一緒に朝鮮半島(百済)から五月雨的に入ってきたと推察されます。そして、継体天皇時代、百済文化導入の中心に居たのは蘇我でしたので、仏教導入の中心に居たのも蘇我であったことはほぼ間違いないことと思われます。

その後、仏教導入と関連し、その仏教の扱い方に関し、有名な崇仏論争が起こりました。その概要はWikipediaによれば次のとおりです。

崇仏論争

大和朝廷の豪族の中には原始神道の神事に携わっていた氏族も多く、物部氏・中臣氏などはその代表的な存在であり、新たに伝来した仏教の受容には否定的であったという。いっぽう大豪族の蘇我氏は渡来人勢力と連携し、国際的な視野を持っていたとされ、朝鮮半島国家との関係の上からも仏教の受容に積極的であったとされる。

欽明天皇は百済王からの伝来を受けて、特に仏像の見事さに感銘し、群臣に対し「西方の国々の『仏』は端厳でいまだ見たことのない相貌である。これを礼すべきかどうか[7]」と意見を聞いた。これに対して蘇我稲目は「西の諸国はみな仏を礼しております。日本だけこれに背くことができましょうか[8]」と受容を勧めたのに対し、物部尾輿・中臣鎌子らは「我が国の王の天下のもとには、天地に180の神がいます。今改めて蕃神を拝せば、国神たちの怒りをかう恐れがあります[9]」と反対したという(崇仏・廃仏論争)。意見が二分されたのを見た欽明天皇は仏教への帰依を断念し、蘇我稲目に仏像を授けて私的な礼拝や寺の建立を許可した。しかし、直後に疫病が流行したことをもって、物部・中臣氏らは「仏神」のせいで国神が怒っているためであると奏上。欽明天皇もやむなく彼らによる仏像の廃棄、寺の焼却を黙認したという。(引用終了)

この崇仏論争をまとめますと、帰化人の蘇我は積極導入派、在来の物部・中臣氏らは反対派になります。

そして、反対派のDNA(Y染色体ハプログループ)ですが、物部はアイヌ系、一方、中臣(後の藤原)は縄文由来マレー系であることが分かっています。すなわち、賛成派の蘇我を百済由来帰化人系(弥生系)としますと、反対派は縄文系のアイヌ系とマレー系になります。そして、この対立は蘇我入鹿暗殺(大化の改新 645年)まで続くことになりました。

なお、関連し、仏教導入時代の東アジアの様子を上トップ図に示しました。この図では、百済武寧王が南朝(梁)に朝貢し、その仏教文化を百済に導入し、日本や北九州倭国に普及している様子を示しています。

また、中臣(後の藤原)氏のDNAですが、DNA分類の結果、日本人は、アイヌ系35%、マレー系30%、ツングース系25%、その他10%ですが、マレー系30%は、縄文時代に渡来した中臣氏等のグループは20%(マレー系A)、朝鮮半島から弥生時代に渡来したグループは10%(マレー系B)であることが分かっています。

詳しくは「各民族はいつ頃日本に来たのか 」を参照願います。

レインボー
Posted byレインボー

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motomasaong
祟り神と覚者

 ヒンズー教でも八百万の神の概念があります。最高神はインドラ、日本では帝釈天と呼ばれています。
 原始仏教でも、釈迦自身が、「人間の完成者であるブッダは、最高神を含めた神々までが称賛し尊敬する」と語っています。
 つまり、インドの神々は、人間としての完成者やその教えを敬愛していたと言う事です。しかも釈迦の言によれば、「覚者は私だけではなく、太古の昔から繰り返し存在した」とありますから、遥かな昔からインドの神々は人間の完成者への敬意を持っていたと言う事です。
 さて、日本の神々はどうだったのか? 外国の教えや覚者に敬意を払ったのか、それとも敵意を燃やしたのか?
 戦争に反対し、争いよりも平和、怒る事よりも忍耐、情念よりも理性と良心を優先すべきだと言う教えに反発するのは、戦争や情念、妬みや恨みのままに生きる事を望む存在です。人間の在るべき姿や良心を大切にする者ならば、そう教える覚者を尊敬するでしょう。
 日本でも、本地思想や権現信仰など、元々の日本の神々を尊重するけれども、その背後にさらに優れた完成者である仏を祀り、神々が暴走し、人々に災いをもたらすのを防ぐようにしました。
 全ての背後に神々の意志が動いているとすれば、日本の神々もインドの覚者を受け入れ敬意を払っていると考えられるでしょう。

  • 2023/07/07 (Fri) 08:30
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レインボー
レインボー
Re: motomasaong様、祟り神と覚者

motomasaong様
いつもコメント、ありがとうございます。

今回のコメントは、とても格調高い感じがします。

「祟り神と覚者」ですが、日本には多数の「祟り神と覚者」が居て、バランスがとれている感じがします。

一方、仏教導入に積極的だった蘇我ですが、その末路は仏教そのものだった感じがします。平家物語の第一幕がここにあったのではないでしょうか。

  • 2023/07/07 (Fri) 09:20
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