蘇我家の繁栄と滅亡 5.蘇我は娘を天皇の妃に
蘇我高麗(そが・こま)は、百済の文官で、継体天皇(在位:507-531年)が始めたアイヌ系新王朝の初代財務大臣を担当、かつ第一の側近となり、勢力を広げてきたことを紹介してきました。
そして、2代目の稲目、3代目の馬子、4代目の入鹿の時代が、蘇我家の絶頂期と思われます。 2代目の稲目の時代になると、稲目は娘二人(小姉君、堅塩姫)を29代欽明天皇の妃にしました。
その結果、生まれたのが31代用明天皇、32代崇峻天皇、33代推古天皇になります。 そして、推古天皇(女性天皇)の摂政を務めたのが31代用明天皇の息子の聖徳太子であったというのは有名な話です。その系譜関係を上トップ図に示しました。
余談ですが、蘇我家(特に稲目)の娘が天皇家の妃になるということは、蘇我が美人家系だった可能性があります。
日本には、美人の系譜として、色白高身長の秋田美人等のツングース系美人と、丸顔で二重まぶたの可愛らしい顔立ちの博多美人というマレー系美人の流れがあります。
蘇我家のルーツは百済です。百済はマレー系民族の国ですので、蘇我家の娘はマレー系美人だったことになります。
小生の経験ですが、福岡県筑後で4年過ごしましたが、可愛らしい顔立ちの女性が多いのには驚きました。 福岡県はマレー系が多いことを拙ブログでは紹介してきましたが、それは本当でした。
一方、秋田にも6年ほど居ましたが、美人の多さについては博多には勝てないことを確認しました。
また、アフリカ東海岸にあるマダガスカルはマレー系の多い島国ですが、ここでも多くの混血美人を見ました。下の写真はマダガスカルの田舎の食堂で見た、中国系と現地マレー系の混血(華僑)の娘ですが、とても可愛らしい少女でした。
これも、丸顔で二重まぶたの可愛らしいマレー系の顔立ちと色白高長身の中国系の容貌が混血した結果でないかと思われます。
以上のことから想像しますと、蘇我家はマレー系ですが、すでに中国系と混血し、子孫は美人家族だったと思われます。